現在2017年1月12日19時46分である。
「相対性理論のブログでは、私がアイディアを出しやすいように、気負わなくて良いと書いてくれて、ありがとう」
人間、ええカッコしようと思うと、失敗するのよ。
「太郎さんのその自然体って、どうやって生み出してるの?」
私、自然体じゃないよ。だから、この間も、麻友さんが、
うう~ニック~~
conpetti.com
ってツイートしてきたのに対して、
渡辺麻友様。
うう~マユ~~
ってツイートした後、これは正解じゃなかったと思って、15分後に、
渡辺麻友様。ツイートされたリンクをたどりニック・ワイルドについて知りました。麻友さんとしては、むしろ、
うう~ジュディ~~
と言って欲しかったかも知れません。でも私達はメルヘンの世界の人間ではなく本当に生きている人間です。常に真剣でいましょう♡。
なんて、改良案を提示したりしてるんだ。
「常に真剣っていう言葉には、引いたけど、でも太郎さんのあたたかさってそういうので損なわれないのよね」
それが、お互い人間と認め合ってるということだよ。
「太郎さんって、小学校の頃から、そんななの?」
その質問は、微妙だな。
小学校1年生の頃の私は、もっと普通の少年だった。
「どんなふうに?」
渋谷区立渋谷小学校に入学した私は、クラスの皆が、体育館の屋根に向けて、ボールを投げて、落ちてくるのを拾っているのを、自分でもやってみたいと思った。
「健康的ね」
それで、母に、ボールを買って欲しいと、お願いした。
「買ってくれた?」
うん。まだ、小学校1年生だからね。
「それで、投げてみた?」
うん。次の日学校に行くと、体育館の前で、みんなと同じように、投げた。
「うわぁー」
でもね、とどかなかったんだ。屋根まで。
「そんな」
でも、それで、諦める私ではないんだ。
「おっ」
みんなは、普通のピッチャーが投げるみたいに、上から投げてたんだ。私も、そうだった。
「うん」
でもね。やってみれば分かるけど、投げ上げるときには、下からすくい上げるように、グンと、アンダースローで投げた方が、高く上がるんだ。
「太郎さん。そのときもう、そのこと知ってたの?」
そうだろう、と思ったの。
「それで?」
下手投げで、投げてみた。
「うん、うん」
屋根まで、とどいたんだよ。
「やったー」
この話は、これで終わりじゃないんだ。
「えっ」
上がったボールは、落ちてこなかったんだ。
「どうして?」
私は、すぐ分かった。みんなは、屋根の奥の方まで投げられるから、コロコロ転がって落ちてくる。
でも、私は、屋根の縁ぎりぎりまでしか投げられなかったから、雨どいに引っ掛かって、落ちてきてくれなかったんだ。
「小学校1年生で、すぐそこまで分かった?」
麻友さんも、同じことをやってみれば、きっと分かるよ。こういうのって、そこに居合わせれば分かるっていうようなものだと思う。
「そういうものかしら。それで、ボールがなくなって、どうしたの?」
母に、もう1個ボールを買って、とは言いにくくて、外では余り遊ばず、休み時間は、宿題をやってたりした。
「よく、そんな前のこと、覚えてるわね」
理由が、あるんだ。
ある日、教室で宿題をやっていたら、担任の先生が、
『それは、今日、家でやるように出した宿題でしょ。学校でやっちゃだめです』
って、怒ってきたんだ。
「信じられない~」
でも、小学校1年生が、お天気の良い日に、外で遊ばない、というのは、さっきの麻友さんじゃないけど、健康的ではないのかも知れない。
「成績は?」
悪いということはないけど、ものすごく良かったわけではない。
覚えているのは、国語のテストで、30点を取ったときのこと。
私は、30点だって、別に悪くないじゃん、と思って、母に見せた。
「怒られたの?」
というか、我が家では、こういうことが起こると、すぐ原因究明委員会が、開かれるの。
「お父さまも、参加するわけ?」
そう。そして、父が、
『これは、太郎が、『この人が好きなのは、どういうことですか?』という問題に、『プールで泳ぐ』と、答えているからだ。『どういうことですか?』って聞かれてるんだから、『プールで泳ぐこと』と、答えなければならないんだ。もう間違えるなよ』
と言って、おしまい。
「恐い、おうちね」
それから、25年後。私は、父と一緒の職場にいたことは、前にも話した。
そこの社長が、
『この機械が動かない原因を探れ』
と言った。
私は、25年前のことを思い出し、
・AがBであること。
・CがDであること。
・EがFであること。
以上の3つのことが、原因であると思われます。
と、レポートを書いた。
それを見た社長が、
『おまえ、『こと』なんて、書くなよ。こんなの社会オンチの見本みたいなものだ』
と言ったのだ。
私は、それを聞きながら、この社長って、小学校1年生のときの私以下だな。いい大学行かれなかったの当然だな、と馬鹿にした。
「それって」
人間が、誰かを、尊敬するか、軽蔑するかって、ほんの些細なことが原因であることが多い。
そして、一度軽蔑した人間を、もう一度見直すということは、よっぽどのことがない限り、人間にはない。
「あー、それは、真実ね。けしてミーハーではない、太郎さんが、私のことを、認めたのも、ほんのわずかなきっかけからですものね」
そのミーハーというので、思い出した。
我が家は、父も母も、ミーハーなことを、嫌いがちな人だ。
どっちが、ミーハーをより嫌うと思う?
「私も、最初、どっちなのかなあと、思ってたのよ。でも、太郎さんの筆致を見ていると、お母さまのほうが、筋金入りのミーハー嫌いね」
さすが、麻友さん。
ほら、麻友さんだってその場に居合わせると分かるでしょ。
今はもうないけど、バラエティ番組に出ている麻友さんは勉強しただろう、『8時だョ!全員集合』という番組が、あった。
いっとき視聴率が、50%を越え、二軒に一軒が見ていた。
「ザ・ドリフターズでしょ。知ってる」
でもね。私の家では、一回も見たことないの。
友達が、うちに来たとき、
『からす、なぜ鳴くの、からすの勝手でしょ』
って、やったの。
「ああ、分かる、分かる」
そうしたらね、友達が帰った後、母が、
『あれは、本当は、『からす、なぜ鳴くの、からすは、山に、かわいい、七つの子があるからよ』っていう歌なのよ。間違って覚えたら、日本人として、恥ずかしいわよ』
と言ったんだ。
「太郎さんて、そういうとき、どういうふうに取るの?」
私ってね、母が、そういうこというの、嫌じゃないんだよね。
「お父さまは、どうなの?」
父は、本当に、勉強が、好きなんだよ。
そもそも、我が家に1983年頃という、非常に初期から、ビデオテープレコーダーなんてものがあったのは、映画を録画するためと、もうひとつは、父が日曜日に見るために、教育テレビ(いまのEテレ)で放送されていた、市民大学講座を録画するためだったのだ。
「太郎さんのお父さまって、慶応出てるのに、どうして、勉強する必要があるの?」
そういう質問は、勉強が好きな人には、意味を持たないよ。
「太郎さん見てるから、ある程度分かるけど」
そういう父なんだけどね。実は、結構ミーハーなんだ。
「そこを、聞きたかったのよ」
実は、『8時だョ!全員集合』は、1回も見たことないんだけどね、父がテレヴィ付けたとき、たまたまやってたことがあるんだ。
「うん。うん」
二人の人間が、長いゴム紐を、歯でくわえて、段々遠ざかるの。
「分かる。分かる」
それをね、父が、面白い、面白いって言って、見てたんだ。
「わー」
そして、片方が、ゴム離しちゃって、・・・分かるでしょ!
「うん」
そして、父が、アハハハって笑ってたんだ。
「お父さま、普通の人じゃない」
そこへね、母が来て、
『なにくだらないもの見てるの。お父さん、これ、くだらないのよ。消してよ』
って、それで、父が、チャンネル変えた。
「でも、太郎さんの家って、亭主関白よね。お母さまが言うと絶対なの?」
そうじゃないんだ。母が言っても、父が見ていたければ、チャンネルは、変えないんだ。
父も、ほんの一瞬だから、見てたんだ。
そういうものを、録画してみようなどとは、絶対思わない人なんだよ。
「そうかー」
ところが、逆説的なんだけど、父がミーハーだということの証拠が、いくつもあるんだ。
「えっ、どんな」
まず、父は、ポール・モーリアの音楽などが好きだ。
「恋はみずいろ」
父と母が結婚したとき、最初に買ったレコードは、フォルクローレの『花祭り』だ。
「ケーナ」
父は、歌手のマドンナが、来日したとき、カセットテープのマドンナのアルバムを買って、ウォークマンで、聴いてた。
「カセットテープのウォークマン!」
ほらね。父が、自分からクラシックを聴くことは、よっぽどのことがない限りないんだ。
「太郎さん。情報ありがとう。お父さまが、恐いだけの人ではないと、分かったわ」
今日は、小学校1年生の頃のことなどを、思い出した。
麻友さんは、漫画家になりたいと思っていた頃だ。
「あの頃、算数って、何を習っていたのかしら?」
実は、算数というのは、国語の次に多くて、一週間に5時間くらいある。
ものすごく、たくさんのことを学んでいるんだ。
「たとえば?」
1年生のあいだに、足し算引き算を習うし、数直線とか、長さとか、面積という言葉を、習う。
「そうだったのかしら。太郎さん、良く覚えてるわね」
いや、覚えてるわけではない、学習指導要領を見ながら言ってるんだ。
「どうやって、そんなもの見てるの?」
インターネット上に、ちゃんと書いてあるんだ。ほら。
「やっぱり、先生になろうとする人は、見てるところが違うわね」
私なんて、知らない方だよ。現場の先生には、かなわない。
「ひとつだけ、分からない言葉があるんだけど、『1位数』とか『2位数』という言葉は何?」
ああ、それは、『1位数』というのは、一桁の数、『2位数』というのは、二桁の数って意味だと思う。そうじゃないと、日本語として意味が通じない。
「だったら、48は、2位数で、1994は、4位数?」
そういうこと。
「でも、これで見ていくと、私、こんなの習ったかなあ、というのあるわよ」
ああ、麻友さんは、ゆとり世代だから、習ったことが、少し少ないかも。
「それで、太郎さんに、ガンガンやられたら、たまらないわ」
そういうけど、特待生麻友さんに、
『選抜メンバー16人の中の2番というのは、上位何パーセントなの?』
と、質問して、麻友さんが、
『
だから、12.5パーセント。』
と、計算するのに、補助が必要だとは、思えない。
麻友さんには、普段あまり使ってないかも知れないけど、いつの間にか、知ってることが、いっぱいあるんだよ。
「だから、こういう本が、存在するわけね」
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そう。学び直すっていうのは、すごく簡単なんだ。
それに対し、初めてのことを学ぶっていうのは、ものすごく大変。
「新鮮さ、という大切なものを持っているけどもね」
その通り。
「太郎さんは、6時間でわかるなんていう本を読んだことあるの?」
ないよ。必要ないもの。
「ああ、太郎さんは、中学のときに、復習してるんですものね」
そう。
中学2年生のとき、
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を、父に勧められて、読んだ。
そして、中学3年生のとき、
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を、数学の先生に勧められて、読んだ。
実は、上の本のお陰で、小学校の算数を復習し、さらに、三角関数、ベクトル、行列式というものを、知った。
それで、中学3年生のときの数学の担任の先生が、
『数学の良い本を紹介してあげるよ』
と言ってきたとき、
『じゃあ、教えて下さい』
と言ったんだ。
そうしたら、
『じゃあ、図書室へ行こう』
と言って、図書室へ連れて行ってくれた。
『どれが、良いかな』
なんて、言いながら、下にあげた方の『数は生きている』などを、見ている。
私は、中学1年生のとき、このシリーズの、『の話』という本を、半分くらい読んだことがあり、このシリーズは私には易し過ぎるということを、感じていた。だから、
『そのシリーズの『の話』を少し読んだことがあるのですが』
と、言ってみた。
すると、先生は、
『『の話』でもいいんだが、そうだな、この『数は生きている』を、読んでみないか』
とおっしゃった。
私は、少しがっかりしたが、その本を読み始めた。
易しすぎると思ったのは、最初だけだった。アマゾンのレビューに私が書いているように、この本は、通読するのに3ヶ月くらいかかった。
いずれにせよ、そのとき懲りたので、先生に、どんな本を読んだらいいですか、と質問するのはやめた。本は、自分で探すことにしたのだ。
「その割りには、太郎さんは、他人には、色んな本を、紹介するわね」
私は、紹介はするけど、後は、読みたければ、好きにして下さい、という立場。
だから、たとえば、さっきの『の話』というのは、これです、と見せるだけ。
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「なるほど。むかし、パイの話をしたわね」
やっぱり、若いと記憶力が違うなー。
そう。相対性理論のブログの『周りより心の温度が0.01度高い君へ』という投稿で、パイの値を小数点以下50ケタ暗記していると書いてる。それからラヴレターにもチラッと書いたんじゃなかったっけ。実はあの数字の列は、39ケタ目まで、この本の覚え歌で覚えて、残りの11ケタは、丸暗記したものなんだ。
「太郎さんが、丸暗記ね」
50ケタ目まで覚えることに意味があったんだ。
それは、確率の話をするときのお楽しみとして、取っておこう。
さて、この後、整数環の話が続いていたのだが、かなり書いたところで、グーグルクロームがフリーズして、消えてしまった。
今夜中に、復活させる元気はないので、小学校中学校を思い出したここまでで、投稿することとする。
「えー、残念。なんとかならないの?」
映画『アマデウス』の中で、
『曲は?』
と言われたモーツァルトが、頭を指さして、
『ここにある』
と言う。
あれと同じ。私が、元気になれば、いつでも書ける。
「本当に?」
話を面白くするための脚色が、ちょっと変わるかも知れないけど、実質的に、同じものが書ける。
「太郎さんに取って、易しいことを、書いてるの?」
それは、当然だよ。
私が、マジで数学語ったら、この前のカルタン構造方程式みたいなことになっちゃって、麻友さんチンプンカンプンになる。
「でも、私、マジで扱われてないのかしら」
分かってないなあ。余力があるのを生かして、脚色できるんじゃない。
この前のカルタン構造方程式のときなんて、ジョークひとつ入れられなかった。
「とすると、あの証明ぐらいが、太郎さんの世界の全貌?」
それも、勘違い。
実は、あのカルタン構造方程式の証明は、線型代数という、数学の中ですごく易しい部類の話だったんだ。だから、ブログなんかで、書きながら証明するなんてことができた。
前に、結婚の記念には役不足だとかいった、2年かかるという、コーエンのフォーシングなんかとか、結婚の記念品にしても良いくらいだと言った、広中の特異点定理なんかは、ブログ書きながら証明してたら、分からなくなる。
「分からなくなるっていうのは、どういう状態なの?」
つまり、書いたものを読む人が理解できるように、書く方に気を配ってたら、証明の論理が追えなくなっちゃうし、論理を追おうと思ったら、手が止まっちゃうか、意味不明なこと書いちゃう。
「つまり、落書きするってこと?」
実は、有名なんだけど、あのアーベルも、いっぱい落書きしてるんだ。
「えっ、天才数学者って、どんな落書きするの?見てみたい」
まだ、スマートフォンになってないので、良い写真に撮れないんだけど、これで、我慢して。
「何か、ブラジャーのようにも、見えるけど」
うん。レムニスケートという、特別な曲線なんだ。
「って、これ以上、続けると、もう駄目よ。寝なきゃ」
分かった。題は、『2017年1月13日朝はここまで』としちゃおう。イレギュラーだけど。