女の人のところへ来たドラえもん

21歳の女の人と43歳の男の人が意気投合し、社会の矛盾に科学的に挑戦していく過程です。                    ブログの先頭に戻るには、表題のロゴをクリックして下さい。                                   数式の変形。必ずひと言、添えてよ。それを守ってくれたら、今後も数学に付き合ってあげる。

数Ⅲ方式ガロアの理論と現代論理学(その3)

 現在2018年7月8日7時15分である。

「朝早くから、張り切ってる~」

 前置きが、長すぎると、挫折するから、一気にゼミ始めよう。

 若菜にもらったスマートフォンの電源を入れて。スピーカーから声を出す設定にしよう。

結弦「おはようございます」

 おはよう。

若菜「おはようございます。昨日の千葉県沖の地震は、大丈夫でしたか?」

「最大震度は、震度5弱だったけど、横浜は、震度3だったわ」

「お二人とも、おはよう」

結弦「僕たち、若いお母様や、若いお父様を、なんと呼んだらいいでしょう」

 私達も、『若菜』『結弦』と呼ぶから、『お母さん』『お父さん』としてしまったら、どうだろう。

若菜「お父さん。どんな、冒険をするのですか?」

「ああ、違和感ないわね。じゃあ、『お母さん』で、いいわ」


 それでは、早速なんだけどね。今回は、矢ヶ部巌(やかべ いわお)『数Ⅲ方式ガロアの理論』(現代数学社)という本を中心として、数学の冒険をしたいんだ。

結弦「『数Ⅲ』って、なんですか?」

「あっ、そうよ。結弦は、小学校6年生なのよ」

 そうだったね。この本の書かれた時代の高校では、1年生、2年生、3年生、と上がるにつれて、数Ⅰ、数Ⅱ、数Ⅲと、名前が付いていた。

『数Ⅲ方式』

とは、高校3年生の教科書レヴェルで書いてある。という意味なんだよ。

結弦「じゃあ、僕は、6年分、飛び級ですね」

若菜「私も、4年分飛び級。すごい冒険に、なりそうですね」

「太郎さんが言うには、ゼミとかゼミナールという形式で、議論したら良いということなの」

若菜・結弦「Googleで、カチャカチャ『ゼミ』ポンッ。ゼミって、専門分野のゼミナールという意味と、『代々木ゼミナール』とか『進研ゼミ』という使い方がありますけど、前者ですね?」

 あっ、確かに、『早稲田ゼミナール』とかそういう使い方もあるな。そう、前者だよ。


 普通、大学で、ゼミをやる場合、途中で挫折することも考えて、問題の本を図書館で借りて、前半20ページ位を、人数分コピーするのが、よくある姿だ。

 だが、人間というものは、どうしても、先が知りたくなるもので、熱心な人ほど、その本自体を、購入することになる。

「太郎さん。私も、コピーでは嫌だわ」

 全員分、本、用意してある。

 特に、レポーターの麻友さんには、改めて新装版を、購入してある。

矢ヶ部巌『新装版 数Ⅲ方式ガロアの理論』(現代数学社

数III方式ガロアの理論

数III方式ガロアの理論

 若菜と結弦には、私と同じ旧版のこちらを、渡しておこう。

f:id:PASTORALE:20180708135937j:plain

若菜「内容は、同じなのですか?」

 誤植も、そのままなんだ。だから、私達で、誤植リスト作ろう。

結弦「内容が同じなら、古い版でもいいか」


 あらかじめ言っておくけど、数Ⅲ方式なんて言ってるけど、この本は高校3年生には難し過ぎるほど難しい。

 ゼミという形式を取るのだから、気になったところがあったら、バンバン質問して欲しい。

 分からないところだけでなく、

『これで、いいんだよね』

という発言も、歓迎する。

結弦「レポーターは、お母さんだけなの?」

 実は、小学生の結弦と、中学生の若菜には、これを読むことすら、無理に思える。

 それから、私が、レポーターをやらないのは、3人に、論理のトレーニングをするために、『現代論理学』という本のレポーターをするためだ。

若菜「論理学って、ロジックでしょ。2042年の世界では、面白い教材がいっぱいあって、みんな楽しんでるのよ」

 昔は、大学では、論理学、心理学、倫理学、と、哲学は、単位を取るのが難しいから、科目登録しない方がいい。

『三理一哲は、取るな』

なんていう言葉も、あったほど。

 時代は、変わったなあ。

 『現代論理学』は、この本ね。

安井邦夫『現代論理学』(世界思想社

現代論理学

現代論理学

「じゃあ、太郎さんの本を借りて、私が読んできたところを、レポーターとして、やってみるわ」

「太郎さん、ものすごく書き込みがあるわね。一体何回読んだの?」

 2回は、通読している。

 読み始めるのは、14回目かな?

結弦「うわー」

「じゃあ、はしがきから始めるわね」



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 数Ⅲ方式ガロアの理論

 アイデアの変遷を追って


  矢ヶ部 巌


  現代数学社






  はしがき

 活きてる数学を,死んだ教科書で封じ込めちゃ,助からない──この本を貫くスローガンである.

「建築が落成した後に足場が残るようでは見っともない」と,ガウスはいう.積極的に足場を見せ,どのように建築されたかを再現しよう,というのが,この本の立脚点なのである.

 この本の内容は,雑誌『現代数学』で連載したものに筆を加え,新しく二つの話題を付け加えたものである.この連載は,九州大学における《一般数学》の講義が基となっている.だから,予備知識としては,高校の数Ⅱまでしか,仮定していない.

 代数方程式に関する,ガロアの理論を主題とする.ガロアは,どのようにして彼の理論を建設したのか──それを演出してみよう,というものである.

 3次方程式・4次方程式の根の公式にさかのぼり,ラグランジュの思想へと到達する.そこから,ルフィニ=アーベルの結果,すなわち,「5次以上の方程式には、代数的解法による,根の公式は存在しない」という歴史的な業績へと導かれる.

 根の公式は存在しないが,具体的に係数を与えると,代数的に解けるものはある.そこで,複素係数方程式の代数的可解性を,どのように判定するか,が問題となる.その判定法を,ガロアは達成する.それが,ガロアの理論である.

 ガロアの理論は,彼以前の方程式論の集大成の上に立つもので,とくに,ラグランジュの理論の類比として得られること,を明らかにする.

 ガロアの理論は、デデキントの手を経て,現在の「ガロア理論」へと成長する.その様を,最後の話題として,取り上げている.

 可能な限り,原典にあたっている.それらの論文には「足場」は残されていない.演出者が代われば,別のドラマが展開されよう.著者の意図が,どの程度まで成功しているかは,大方の批判を待つしかない.

 現代数学社の方々には,大変にお世話になった.心から,お礼を申し述べたい.

  1976年1月
                            矢ヶ部 巌




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「とりあえず、読んでみたけど、太郎さんが、『封じ込めちゃ,助からない』に、『封(ふう)じ込(こ)めちゃ,助からない』と、ふりがなを振ってるわね」

 読み方を辞書で確かめた字には、ふりがなを振っているんだ。

結弦「建築とか、足場って?」

「私も、何言ってるか、良く分からないのよ。数学の話なのにね」

 それは、この本のメインテーマなんだよ。

 読んでいくうちに、分かってくると思う。

「太郎さんが、『新しく二つの話題を付け加えた』というところに、

『どの二つだろう』

と、疑問を呈してるわね」

 これは、確認が取れなかったんだ。

『現代数学』という雑誌は、1968年5月に発刊されてるんだけど、横浜市の図書館にそんな古いバックナンバーは、なかったんだ。

 大学の図書館にでも行かないとね。

若菜「ルフィニ=アーベルという人が、5次以上の方程式に、代数的解法による根の公式はない、ということを、証明したの?」

「読んでいくと、分かるけど、ルフィニという人と、アーベルという人が、いたらしいの」

 おっ、準備してきたな。

 そういう風に、自分の疑問点や、聴衆が疑問に思いそうなところを、できる限り、調べてきて。

結弦「今日は、はしがき、だけですか?」

 あまり、最初から飛ばすと、息切れするからな。そんなところで、止めておこうか。

若菜「あっ、原典って、何ですか?」

 この場合、著者の矢ヶ部巌さんが、出てくるひとつひとつの定理の、最初にその定理の発見を報告した論文や本を、実際に読んでいる、ということなんだ。

若菜「それって、当たり前じゃないんですか?」

 普通数学者だって、教科書などで勉強する。元の論文で勉強するなんてのは、最先端のことの場合だけだ。19世紀のガロア理論の原論文を読むなんて、矢ヶ部巌さんはやる気があるね。

若菜「そういうことですか」

結弦「次は、『現代論理学』?」

 時間になっちゃった。今日は、許して。

「太郎さん。この試み、上手く行くかしらね」

 継続できるかどうかに、すべてがかかっている。

 じゃあ、今日は、解散。

結弦「バイバイ」

若菜「またね」

 スマートフォン止めてと。

「不思議な雰囲気になったわね。どうして、こんな形で、数学の冒険思い切って始めたの?」

 つい最近、『まゆゆきりん「往復書簡」』の8通目で、


 (ゆきりんの)羨ましいと思うところ?

 そうだなぁ。

 先輩との壁はあったけど、後輩とはその壁を取り払って、オープンにしているところかな。羨ましいっていうか、わたしにはできないから。

 向こうから距離を縮めてくれない後輩とは、どこまでいっても、その距離は変わらぬままで・・・・・・。

 それはそれで、やりにくさを感じているんだけど、でも、こればっかりは、どうにもならない。

 わたしはそういう性格なので・・・・・・。


と、書いているのに気付いた。

『太郎さんも、自分から私との距離を縮めてくれないと、距離は変わらぬままよ』

とも取れるなと思った。

 それでかな。

「私、太郎さんには、近づこうとしてる」

 分かってるよ。

 今日は、もう寝よ。

「おやすみ、太郎さん」

 おやすみ、麻友さん。

 現在2018年7月9日1時54分である。おしまい。