現在2018年8月19日12時47分である。
「8月9日の相対性理論のブログの投稿以来、10日も経ってるわよ」
『現代論理学』のゼミのために、色々準備してたんだ。
「どんな準備をしてたの?」
論理学の方は、テキスト渡さない、って言ったでしょう。
『現代論理学』の本文は、良くまとまっているから、利用させてもらうけど、行間をしっかり埋めようと思った。
「行間を埋めるって、一つ一つの言葉を、丁寧に論理的ギャップがないように、説明すると言うこと?」
そうなんだ。
実は、『行間を埋める』とか、『行間を読む』、という言葉は、物理学や数学をやっている人の間では、非常にしばしば用いられるんだけど、化学や分子生物学をやっている人の間では、あまり使われていないらしい。
私が、病気になって京都から帰ってきたとき、
『ランダウの『力学』は、103ページまで、完全に行間を埋めてある』
と言ったら、工学部の無機化学をでている父が、
『なんで、そんな気取った言い方をするんだ』
と言い、国文科の妹も、
『行間を、開けたの?』
と、分からなかった。
恐らく、日本語で書いてあるのに、読んで意味の分からない本などというものを、読んだことがないのだろうな、ああいう人達は。
「でも、『現代論理学』は、あのままじゃ、私には、分からなそうだったわ」
専門用語が、バンバン出てくるからね。
「太郎さんは、どうして読めたの?」
それは、私は、この本の前に、『数学基礎概説』を第2章まで、読んであったからなんだ。
「太郎さんの愛読書ナンバー2ね。どうして、第2章までなの?」
『数学基礎概説』の第1章は、『現代論理学』の第2章で、説明される、述語論理学というものを、『数学の『群(ぐん)』というものの定理を、論理的に完璧に証明する』ということを、通して、説明している。
麻友さんと違い、群を知っていた私は、その知識のお陰で、述語論理学を、マスターできた。
「それが、『数学基礎概説』の第1章ね。それで、第2章は?」
第2章は、述語論理学、厳密には1階の述語論理学が、矛盾したことを仮定しない限り、矛盾を導き出さない、という意味で、無矛盾だ。ということを、証明している。
「うっわ、恐ろしいことが、証明できるのね」
これが、この前話した、ゲンツェンの証明したことの1つなんだ。
「ああ、ゲンツェン」
素晴らしい成果だろ。
「うん。それで、第3章は?」
矛盾しないことは、分かった。次は、完全であるかどうか。
「完全って?」
この場合の完全性は、意味をくみ取ったとき、正しいはずの定理は、必ず証明できる。というもの。
「すごい。でも、その完全性自体は、証明できないんでしょ」
いや、ゲーデルが、完全性定理、証明した。
「ロジックって、そんな凄いことまで、分かってるの?」
これは、1935年頃までに、分かっていたことで、もう古典となってることなんだ。
「じゃあ、私達が、学ぶのは、ロジックの古典となってるもの? どうして、学ぶの?」
実は、現在、数学者が使用している数学の99%くらいが、この古典となっているロジックだけを使って、説明できることだからなんだ。
「じゃあ、アーベルの5次方程式が代数的に解けないという証明も、ガロア理論も、ピタゴラスの定理も、全部それで、説明できるの?」
できる。
「つまり、太郎さんが、何かを正しいというときは、その古典となってるロジックで、正しいと導かれた場合なのね」
そうなんだよ。
私の、正しい、の基準を、全部オープンにできるんだよ。
「それは、確かに、面白いかもね。じゃあ、若菜と結弦も、加えて、ゼミ、スタートさせてみても、いいわね」
よし、若菜、結弦、いいぞ。
若菜「『大公』トリオ、素晴らしかったですね」
結弦「親の初体験に立ち会えたって、すごいことでした」
「また、デートに、来たい?」
結弦「うーん。秋元さんとは、違う意味で、あの場に立ち会うというのは、ちょっと恥ずかしいんだよなぁ」
若菜「一度、一線を越えたら、次のデートでも、当然ああいうことになるでしょうしねぇ。お父さん、次のデートは、どう描くつもりだったんですか?」
『大公』トリオのデートを、書いているとき、私は、子供向けの、初体験の教科書を書いているつもりだった。
結弦「子供が、あれを、真似できるように?」
そうだよ。麻友さんと私は、模範的な恋愛をしているんだからね。
若菜「でも、あれで良かったんですか?」
実は、私は、教科書を、あれで、終わらせるつもりは、なかったんだ。
若菜「やっぱり、次のデートが、頭に、あったんですね」
モーツァルト交響曲第41番『ジュピター』のデートとして、あの後ふたりの関係がどう発展するか、書くつもりだった。
具体的には、麻友さんの側が、
『この前は、ありがとう。私も、色々調べてきたのよ。今日は、発散させてあげるわ』
と言い出す、という部分を、盛り込む必要があるな、と感じていた。
若菜「やっぱり、そういう部分が、あって当然ですよね」
結弦「そういうデートを、書くの?」
書くつもりだったけど、あの投稿に関係して、私の『初体験』の定義が、一般の定義と、衝突しないかどうか、主治医に相談したりしているうちに、書く必要ないな、と感じたんだ。
若菜「どうしてですか?」
私の『大公』トリオのデートは、『初体験』の教科書として、十分に完璧で、あんな楽しい初体験をしたふたりなら、次のデートまでに、相手のために何をできるか考えるだろうし、そうすれば、私が、次のデートで描くよりも、もっとバラエティに富んだ、幸せな2回目の体験をできるだろうから、もうそこに教科書なんていらない、と気付いたからなんだ。
若菜「お母さんって、本当に、いい人に、巡り会ったんですね」
「じゃあ、次回のデートは、実況中継なしね」
モーツァルトだけ書くからね。
「分かったわ」
結弦「それで、ロジックは?」
麻友さんに、話していた、『数学基礎概説』の第3章は、完全性定理だった。ところが、著者の大芝猛さんが、完全性定理を完璧に理解していなかったのかなんだか知らないけど、ほとんど証明になってない。
結弦「じゃあ、どうするんですか」
私は、図書館で見ていて、『現代論理学』に、完全性定理の証明が載っているのに、気付いた。
若菜「別の本で、証明を補っても、いいんですか?」
そりゃ、いいよ。そもそも、数学は、ひとつなんだから。
若菜「数学は、ひとつ?」
並行して進んでいる、『数Ⅲ方式ガロアの理論』の第9章pp.144,145に、
*********************
広田 分数式の積分計算では,いま与次郎が実演したように,与えられた分数式を,いくつかの簡単な分数式の和として表わす事が本質的だ.この方法を何と呼ぶ.
小川 初めの分数式を部分分数に分解する───と,いいます。
広田 この部分分数分解は,結局のところ,分母を零とおいた方程式の根とカカワル.そこで,再び,方程式の研究がクローズ・アップされる事となる.
小川 「数学は一つ」なのですね.
*********************
と、あるんだ。今、積分などの言葉は、分からなくて良い。とにかく、積分という解析学ばかり研究していた、数学者達が、方程式という代数学に戻ってきた、というところが、重要なんだ。
若菜「『数学は一つ』か。『陰になり日向になり、支えとなってくれる』というのは、本当ですね」
本当に、若菜と結弦が、あの本を読み終えられたら、凄いことになると思うよ。
結弦「それで、完全性定理の証明のために、『現代論理学』を、読み始めたんだ」
そうなんだ。だから、『現代論理学』の前の方に書いてあったことは、『数学基礎概説』で、勉強してあったから、楽勝で、進んだんだよ。
「あっ、そういうことだったのね。そうすると、私達も、『数学基礎概説』の第2章まで読んで、その後、『現代論理学』へ行って、完全性定理の証明を読んだら、『数学基礎概説』の第4章以降に挑戦すれば、いいのね」
私の後をたどるという点では、それが、ベストだ。
だが、『数学基礎概説』の第1章は、そんなに易しくない。
大学2回生になっていた私だから読めたのであり、『任意の』という記号『』や、『存在する』という記号『』を、ほとんど使ったことのない、麻友さんに取って、ホップ、ステップ、がなくて、いきなりジャンプを要求されるようなことになる。
結弦「お父さんは、何か、ロジックに入門するための、良い本を、持っているの?」
実は、2000年の10月10日に出版された、次の本、
- 作者: 戸田山和久
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は、ずっと気になっていた。
若菜「カチャカチャ『アマゾンで『論理学をつくる』』。20個もレビューが付いてる。ほとんど、好意的なものだわ」
その中で、
『自然演繹が標準的なGentzenの形でないのがとてもとても残念。』
と、書いてる人がいるだろ。
若菜「えっ、標準的な・・・」
結弦「カチャカチャ、あっ、ex-phenomenologist という人だ。『濃厚な入門書』というレビューの中に、書いてある。『欲を言えば非古典論理を扱うよりはチューリング機械についての話題が欲しいし、シークエント計算も扱って欲しい。また、自然演繹が標準的なGentzenの形でないのがとてもとても残念。』と、2003年6月23日に書いてる」
「どういうことなの?」
同じ論理学を学ぶのでも、何通りかの方法があるんだ。
『数学基礎概説』は、そのうちの1つの方法で、書いてある。
一方、『現代論理学』は、3つの方法で、書いてある。
『現代論理学』の3つのうちの1つは、『数学基礎概説』の方法と相互交換ができる。
実は、この『数学基礎概説』の方法が、Gentzenの形なんだ。
若菜「だとすると、『論理学をつくる』の方法は、『現代論理学』の残りの2つの方法のどちらかなんですか?」
だったら、私、もうこの本、読み終えてるんだけどもね。
結弦「えっ、違うの? じゃあ、4通りの方法が、あるということ?」
まあ、何通りあるか、ということは、あまり、問題がなくて、どれを使っても、同じ、『1階の述語論理』という共通のものを、定義しようとしてるんだ。
「それで、10日間も、私を待たせたというのは、『論理学をつくる』を、読んでたからなのね」
全部は、まだ読んでないけど、この人の言っている、この本の欠点は、補える見通しが立った。
結弦「じゃあ、お父さん、『論理学をつくる』を読みながら、論理学作ってみせてくれるの?」
私は、遠大な計画を立てている。まず、『論理学をつくる』と『現代論理学』を並行して進める。
そして、『論理学をつくる』の自然演繹を、Gentzenの形に交換できるように、対照表を作る。
『論理学をつくる』は、『現代論理学』の第2章までのことしか、ほとんど書いていない。ここまでのために、436ページの本を書いたんだから、どれだけ丁寧か分かる。
結弦「さっきの人、インターネット上に書いたお陰で、他の人が、欠点を補ってくれるんだ。やっぱり、書いてみるって、大事なんだな」
そうだよ。
さて、そこからは、『現代論理学』1本で、進むことになる。
頼りないようだが、『現代論理学』は、アマゾンのレビューに私が書いているように、
『一部の例外を除き、全くゼロからすべての定理に証明がつけられています。』
であり、その例外とは、『第二不完全性定理』と『チャーチのテーゼ』なのであるから、『第一不完全性定理』は、完璧に証明できる。
さて、第二不完全性定理をどうするかだが、以下の本をちょっとずつ読んでいき、最後に補おう。
George Tourlakis, Lectures in Logic and Set Theory:Volume 1,Mathematical Logic (Cambridge Studies in Advanced Mathematics)
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若菜「論理学は、これで、おしまい?」
いや、論理学そのものは、現在でも研究されていて、進んでいるけど、私達が、これ以上、追求しないだけ。
結弦「論理学が終わったら、この冒険は、おしまい?」
そうじゃないだろう。さっき、なぜ、『現代論理学』を読み始めたか、言っただろ。
結弦「そうだ。『数学基礎概説』の第3章が、読めないからだった」
私は、『現代論理学』の完全性定理の証明を参考にし、放送大学の『数学基礎論』のテキストと授業に力を借り、ついに『数学基礎概説』の第3章の全定理の証明を、復活させた。
若菜「そういう場合でも、『復活』って、言うんですか?」
私自身が、初めて証明したわけではないからね。
結弦「『数学基礎概説』の第4章は、何なの?」
これこそ、一番やりたかった、ベルナイス・ゲーデルの集合論の公理の記述なんだよ。
「あっ、そうか。ロジックだけじゃ、数学は、できないのね」
若菜「数学を、公理から定理を証明するものという捉え方をするのは、いつからのことなんですか?」
数学者達の間の常識では、紀元前300年頃の、ユークリッドの『原論』(ストイケイア)が、公理的方法で書かれた最初の文献とされている。
いつか、というのは、かなり曖昧だが、ギリシャで始まった、というのは、広く信じられている。
結弦「僕たちが、使うのは、ユークリッドの公理じゃないんだね。ベルナイス・ゲーデルという人?」
ポール・ベルナイスかと思ったら、Wikipediaでは、パウル・ベルナイスと、なってるね。
結弦「ベルナイスとゲーデルという人か」
厳密に言うとね、ベルナイスが作って、ゲーデルがそれを使ったので、有名になったんだよ。
若菜「NBG集合論というものも、あるようですが」
その場合、ノイマン・ベルナイス・ゲーデルの集合論というけど、ノイマンが最初に、集合の他に、クラスという概念を、考えはじめたんだ。1925年頃。そして、1937年、ベルナイスが、クラスという概念と集合という概念をまとめて、今日、ベルナイス・ゲーデルの集合論と呼ばれる集合論を作った。ゲーデルは、それを使いやすくまとめて、選択公理および一般連続体仮説の相対無矛盾性の証明に使用した。それで、一気に有名になった。というわけなんだ。
「その、ベルナイス・ゲーデルの集合論を、展開するときの、言葉の約束、つまり、論理を、まず勉強しようというわけね」
若菜「お母さん、『数学ガール』って、知ってる?」
「えっ、何ガールですって?」
若菜「『数学ガール』ですよ。これ」
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若菜「お父さんは、知ってますよね」
もちろん、知ってる。2042年の世界では、中学生が、これ読んでるのか?
結弦「それ、本当は、高校生や大学生が、対象だったんだよな」
「どういう本なの? 女の子が、数学者目指すの?」
読んでみると、周りに女の子のいない、大学の数学科の男の人達を、慰めるために、書き始めたんじゃないかな? と思えなくもないよな。
「あっ、それで、ガールなのか。大学の数学科って、男の人達ばかりなの?」
私の学年、理学部は、女の子は、332人中24人だったけど、数学科に進んだ子、ゼロだったな。
「すごい。数学ができる女の子って、数学科行ったら、モテモテね」
そんなに、甘くない。
確かにモテるけど、数学の研究者になるには、半端でない才能が要求される。
この『数学ガール』のミルカさんは、数学ボーイ達の、理想の女の人像、なんだよな。
若菜「私、この『数学ガール』の最初のやり取りが、面白くて、読み始めたんです。最初の辺り、中学生でも読めますよね」
そうなんだ。この本の出だしのつかみは、凄いんだ。それで、私は、この本を、買ってしまった。
結弦「なんで、『数学ガール』の話を、持ち出したの?」
若菜「この本みたいに、面白く、お父さんに、ウィットを、効かせて欲しいなと、思って」
若菜、『数学ガール』が、生まれる前から、女の子と数学の話をする本を書いていた人がいたって、知ってるかい?
若菜「『数学ガール』は、2007年ですよね。それより、前ですか?」
「若菜、真面目に答える必要ないわよ」
若菜「えっ、どういうことですか?」
「太郎さんなのよ。きっと。そうでしょ」
さすが、麻友さんは、将来、私の妻となるだけあるな。
そうだよ。私だよ。
1992年に、『数学基礎概説』を読みながら、こんなものを、書いて、発行していた。
「えっ、この女の子の絵、見たことある」
若菜「カチャカチャ、柔って、やわらですか?」
「あっ、『YAWARA!』っていうマンガあった」
そう。『YAWARA!』のマンガを、コピーして、切り貼りして、この原稿作ったんだ。
「太郎さん、暇ねー。本当に、こんなことやってないで、単位取りなさいよ、と言いたい」
京都大学で、単位を取らなかったことのツケは、放送大学へ行って、働きながら8年半かけて、ほとんど秀、一部優、3,4個良、2,3個可、の成績で卒業したことで、すべて払ってある。今更、蒸し返さない。
結弦「ここに書いてある事って、かなり突っ込んだことも、書いてありますが、全部、合っているんですか?」
丁寧に、見ていくと、ちょっと、おかしいところもある。
でも、たたき台としては、かなり使える程度には、完成している。
「この時点で、ここまで完成させていた、ということは、今は、もっと完成しているのよね」
ホーキング&エリスの訳を、引き受けたとき、あの本の全定理に、証明を付けようと思った。
『ホーキング&エリス』には、付録A,付録B、というものがある。
そこで、付録C、として、訳者補遺を、書き始めた。
「全定理って、本当に、全定理?」
そのつもりだった。
「また、そんな、無茶を」
でも、『現代論理学』は、第一不完全性定理まで、全定理に証明が付いている。
「ブルバキみたいに、ゼロから数学の証明を付けていく、つもりだったの?」
結局、そんなものは、完成しなかったけど、このブログのリンク集にある、『私の文献』というフォルダの中に、『NKとBGの要約』というフォルダをさらに作り、その中に、NKsummary.pdf として、保存した。もう出版する気はないので、あの部分だけ利用したいという人のために、テフファイルも、NKsummary.txt として保存してある。これの拡張子を .tex にすれば、少なくとも、クラウドテフでは、見られるし、印刷もできる。
「そんな用意もしていたの。その、NKsummary.pdf というのは、アクロバットリーダーがあれば、見られるのよね」
グーグルクロームでは、いつでも見られるよ。
「この『私の文献』の中の、『シュッツの解答』というフォルダの中は?」
シュッツの『相対性理論』という本にある問題の解答を作っている人のところから、もらってきたんだ。でも、その人も途中だったので、最後のいくつかの章の解答は、まだもらってない。
「この中って、太郎さんの労作と、これから勉強したいものが、ぎっしりね」
これから勉強したいものって、広中さんの特異点解消定理の論文を、見たな。あれを、らくらく読めるのなら、今、ホーキング&エリスを訳せなくて苦労してはいないよ。
若菜「お母さん、インターネットにのめり込んじゃって。本当に、ゼミって、こんなになって、いいんですか?」
今の場合、私が、レポーターだから、聞いてる人間が、のめり込むのは、止める権利は、あまりない。
ただ、私は、チューターも兼ねているから、あまりにゼミが混乱しそうなら、止めても良い。
麻友さん。納得したかい?
「全部は、分からなかったけど、私の文献というよりは、これから論文にしたいことの山、だったわね」
結弦「僕たちを忘れて、お母さんが夢中になっちゃったことは、初めてかな?」
以前は、私が、子供がミルク吹いてるのに、ほったらかしにして数学にのめり込まないかと、心配してたんだ。
でも、麻友さんが、それだけ数学にのめり込めるようになったって、大きな進歩だよ。
「今日は、現代論理学の本文は、まったく出てこないのね」
その代わり、私が、ガールの登場する面白いもの、見せたじゃない。
「そうだったわね。若菜、結弦、ちょっと、数学の楽しさを、感じたわ」
若菜「お母さんも、やっと私達の方へ、来たんだ」
結弦「僕たちの世界では、これが、普通なんだよ」
それじゃあ、今日は、これで、解散。
「今日のうちに、投稿できそうじゃない」
そう。今朝、昨晩の『いつかこの雨がやむ日まで』を、見終わってから、昼寝もしないで、これを書き始めた。
ドラマの話もしたかったけど、ゼミの最中は、できなかった。
「話したいこと、あったの?」
あのドラマ、第2話を見ていたときは、もう先が見えて、全4話で完結しそうに見えたけど、第3話では、混乱させに入ったように思える。
これは、見ようによっては、起承転結の転かも知れない。
だとすると、第4話で本当に、終わりか?
終わりなのかも知れない。
そして、第5話から、新しい始まりが、あるのではないか?
事件が解決しても、ひかりは借金を返すために、キャバクラ嬢を、続けるのだろう。
人間の人生は、いつも、事件が起きまくっているものではない。
つらいつらい、キャバクラ嬢の日常を描いたって、いいじゃないか。
まゆゆファンには、耐えられないかも知れないが、麻友さんの女優人生としては、堅実な一歩だ。
こんな話を、したかったんだ。
「本当に?」
うーん。そうじゃない。
本当は、麻友さんの、ファースト・キスを、奪いたい。
「えっ、いきなり?」
麻友さんは、『アメリ』では、キスを、本当には、しなかった。
でも、いずれそれは、噂になる。
『渡辺麻友は、キスできない』
などという噂がたつまえに、麻友さんのファースト・キスを、私が、大切に、受け取りたい。
「そんなの、無理よ」
いや、麻友さんが、真剣に考えれば、方法は、浮かぶはずだ。
私の側から近づくと、ストーカーになってしまう。
「私の側から、近付けって言うの? 自分の側から距離を縮めてくれる後輩としか、付き合わなかった私に?」
そういう麻友さんが、自分から近付いたのなら、本物だと、誰もが認めるだろう。
「私に、選べって言うの?」
これ以上は、もう言わない。いや、言えない。
私だって、これ以上、自分が愛されていると、確信できるほど、おめでたくないから。
「太郎さんは、私が、キスしなかったら、身を引くって、脅かすの?」
そんな卑怯なことはしない。
私が、身を引くのは、麻友さんに私以外の恋人ができたときだ。
「うん。そうね。太郎さんは、そういう人。だから、私は、信じた」
私は、暇だけど、麻友さんが、いつ時間があるのか、私には、分からないんだ。
そこのところを、分かって欲しい。
「分かったわ。キスくらいしてあげるわよ」
じゃあ、おやすみ。
「おやすみ」
現在2018年8月19日22時34分である。おしまい。