現在2016年1月28日22時39分である。
いらっしゃい、麻友さん。
「10日ぶりくらいかしらね。」
今日は、私の覚えている限り、最も古い記憶から、話そうと思う。
「それが、私達の科学と関係あるの?」
関係ある。
私達の人生が、少なくとも、過去の方向には、無限に伸びていない、ということの、証拠の一つになる。
「『死んだ人を生き返らせる。』という目標のためなのね。」
もちろん、そのためでもあるけど、
『人間は、自分で思っているほど、長い年月、ずっと勉強してきたわけではない。』
ということに気付いて欲しいのでもある。
「それに気付く、目的は?」
私が、44年もかけて、勉強したり研究した成果だから、他の人も、40年くらい勉強しなければ、分かるわけない、などと思う必要がないと、気付いて欲しいから。
「目的は、それだけなの?」
本当のことを言うと、
『子供は、本当に小さいときから、考えている。』
『子供が考えるのを、邪魔してはいけない。』
ということを言いたい。
「そういう結論のために、話そうと言うわけ。どこまで意味があるのか良く分からないけど。」
とりあえず、結論は話したので、始めよう。
私の思い出せる限りの、一番古い記憶は、3歳の頃のものだと思う。
3歳の頃、私は、渋谷の会社の社宅に住んでいた。
ある日の夕方、母に、
『こっちが、右手よ。』
と教わった。
私は、寝付きの悪い子供だった。眠る前、時間があったので、
『教わった、右手が、どちらなのか、覚えていられるようにしよう。』
と思った。
ちょうど、右側には、古い大きなテレビが置かれていた。
私は、
『このテレビのある側を、右側と、覚えよう。』
と思った。
そして、眠りに落ちた。
次の日、お天気が良かったので、父と母と私と妹は、自宅から代々木公園へ向かった。
原宿の駅が近付いた頃、母が、
『太郎が、右左を分かるようになったのよ。』
と言った。
私は、
『これは、聞かれるな。』
と、身構えた。
案の定、父は、
『太郎。右手は、どっちだ?』
と、聞いてきた。
私は、考えるとき今でもそうするように、特に何もない方向へ視線を向けて、考え始めた。
普通の子なら、
『こっちが、右。』
と答えるか、
『分からない。』
と、答えるか、どちらかなのだろう。
だが、私は、考え始めてしまうのだ。
「色んな子供がいるわよ。太郎さんが、特別ってことはないわ。何を考えていたの?」
何を考えていたかというと、
『昨日の晩、テレビのあった方が、右なのだった。』
『起きたとき、テレビは、こちらにあった。だから、こっちの手が右側だった。』
『洗面所に向かうまで、柱の周りを、回ったから、こっち側にあったのが、右手だった。』
『食事で、椅子に座っていたとき、こちらが右側だった。』
『家を出るために、玄関で靴を履いていたとき、こちらが右側だった。』
『社宅の階段を、1周り半して、こっちが、右側になった。』
『社宅の門へ向かう途中、こっちが、右側だった。』
『門を出て、渋谷小学校の側に渡ったとき、こっちが、右側だった。』
『児童会館の前に来たとき、こっちが右側だった。』
『児童会館の前の信号機を渡ったとき、こっちが右側だった。』
『キューピー本社ビルの前を通ったときは、こっちが右だった。』
『宮下公園の中を通ったときは、こっちが右側だった。』
『小さなガードをくぐったときは、こっち側が、右だった。』
『西武デパートの前の信号を渡ったときは、こちらに右手がついていた。』
『消防署の前を通ったときは、こちらが、右だった。』
『山手線の線路に沿って、この坂を登ってきたとき、右手はこちら側についていた。』
『そして、今・・・』
「ちょっと、待って。今、何を話しているの?」
つまりね。あの時、私は、前の晩、覚えた、右手がどっちかという基準を、そのまま現実にあてはめて、今、右手がどっちかを導こうとしていたんだよ。
「じゃあ、あそこを歩いていたときは、こっち側だった・・・というのを、今いる場所まで、続けたわけ?」
そう。
「それで、正解は出たの?」
出たよ。10分くらい考えていたけど、私は、小さい頃から方向感覚が良いから、途中でどこを通ったか迷うこともなく、そのときいた場所まで、辿ることができた。
「それで、お父さまは?」
父と母は、とっくに、私が、分からないのだろう、と思ったらしく、しゃべり始めていて、私が、
『こっちが、右手。』
と、上げたときには、
『ああ、そうね。もういいのよ。』
と、私が、ものすごく考えていたのに気付いていないようだった。
「それで、何が言いたいの?」
私は、
『こっちが、右手。』
と言って手を上げながら、
『今、この場で、布団に横になって寝ているところを、想像して、どっち側にテレビがあるのか思い浮かべれば、すぐ答えが出る。』
ということに気付いたんだよね。
「まだ、テレビが、必要なの?」
何も使わずに、右が分かるようになるまでには、もうすこし時間がかかった。
「で、結局、何を言いたかったの?」
これって、数学の定理と同じだと思うんだ。
「どこが?」
『夜寝たときテレビのあった側が右。』
というのを、用いて、
『今、どっちが右か。』
を導くのは、第一原理からすべてを証明していって、やっと最後に、
『こっちが、右と分かる。』
というもので、非常に時間もかかるし、途中で間違える可能性もある。
ところが、
『今、この場で、布団に横になって寝ているところを、想像して、どっち側にテレビがあるか思い浮かべる。』
ということをすることで、一瞬でどちらが右か分かるようになった。
これこそが、一つの定理を作ったということなんだよ。
「『定理』っていう言葉が、曖昧に使われてるわね。」
私達は、今後、この、
『右手はどっちか?に楽に答える方法のようなもの』
を、『定理』と呼ぶことにしよう。
「『定理』って、証明できるものじゃないの?」
完璧に『定理』という言葉を定めてしまうと、かえって使いにくい。
『考えるのを楽にするものを、定理と呼ぶ。』
としておけば、今後使いやすい。
さっきの、
『どっちが右か?』
の定理も、証明できるものではない。
「そうよ。証明してないわ。」
そのことなんだよ。わざわざあんな話を持ち出したわけは。
「どういうこと?」
証明っていうのは、ある意味、自分で納得するための、補助手段なんだ。
「ちょっと。数学の天才が、証明は二の次ですって?」
数学者にもよるだろうけど、数学での証明って、あるところから先は、
『信ずるものは救われる。』
という部分があるんだよね。
「どういうこと?」
つまりね。数学を築くためには、その築いている最中の数学が、矛盾しない、ということを、仮定しなければ、ならないんだ。
そして、うんと易しい部分に関しては、数学自身が矛盾しないということを仮定しなくても、その易しい数学が矛盾しないことを証明できるけど、ほとんどの場合、数学が矛盾しないことは、証明できないんだ。
「エッ、じゃあ、数学って、そんなに危なっかしいものなの?」
いや、危なっかしいと思うのは、数学が矛盾する可能性があると知って、ショックを受けたときだけなんだ。
「どうすればいいの?」
自分で、数学を、実際に、築いていってれば、恐いことはない。まずいのは、他の人の築いた数学を、そのまま鵜呑みにした場合だね。
「結局、数学にも、楽園は、ないのね。」
どう思うかは、自由なんだけどね、さっきの、
『どっちが、右か』
という場合、私は、実際、ああやって、10分かけて、
『こっちが、右だ。』
と、分かった。
そして、分かってみたら、もっと易しい方法があった。
この場合、人間は、次回から、易しい方法を使うようになる。
そして、本当に納得した場合、証明したかどうかは、あまり関係なくなる。
「だから、どうすれば、いいの?」
納得すれば、証明は二の次。
逆に、証明しても納得できないのなら、もっと食い下がるべきだということなんだよ。
「分からないものを、知ろうとして、食い下がって、見返りがなかったら?」
『私は、どこまでも食い下がった。』
という思いが、見返りなんだろうね。
「なんだか、辛い世界ね。」
研究なんて、どの分野でも同じだよ。
数学は、誰がやっても同じ結果が出るから、その点、公平だね。これが、魅力の一つだと思う。
「そういう数学を、これからやっていくのね。」
やって行きましょう。
「喜んじゃって。最初の目標が、達成されたのかしら。」
ところで、麻友さんにも、覚えている限り、一番小さかったときの思い出を、思い出しながら来て下さいと、いっておいたけど、何か思い出せた?
「私も、3歳頃の思い出なんだけど、おかあさんが、にんじんの煮物を作っていたのよね。前食べたときは美味しかったから、美味しいものだと思って、食べようとして、口に入れたの。」
美味しかった?
「それが、おかあさん、まだ煮たりなかったのね。硬かったのよ。ゴリッて感じで。」
えっ、もしかして、それが原因で?
「そうなの。私が、野菜を嫌いになったのは、あれ以来なの。」
そうだったかー。
でも、嫌いなものがあるのは、あるで、人生楽しめるよ。
「そうかしら。」
そのうち、私とカレーの話をしてあげるよ。
「じゃあ、今回は、ここまでね。」
うん。バイバイ。
「バイバイ。」
現在2016年1月29日23時26分である。おしまい。