現在2016年8月12日13時53分である。
麻友さん。これは、許せないよ。
「何、なに?」
麻友さんのお父さまが、本当のお父さまではない、と書いている人がいるんだ。
「ええっ、どこに?」
このブログ。
「どうしてこんなことが、書かれたのかしら?」
麻友さんが、あんまり、
『お父さんとは、しゃべってなくて・・・』
なんてことばっかり言うから、実の親子じゃないんだろう、なんてことに、なっちゃったんだよ。
「あーっ、そうかー。」
でも、これは、ひどいよね。
本当のお父さまではない、なんて、少なくとも今の社会では、ものすごく重要な意味を持つことだもの。
「そうねー。」
「でも、このネット社会で、こういうの全部、名誉毀損で訴えていたら、お金がいくらあっても足りないわよね。」
それは、そうだけど、事務所を通して、削除勧告を出す、くらいは、した方が良いんじゃないかな。
「どうして?」
今のネット社会って、ものすごく信頼関係が、重要だと思うんだ。
「ちょっとしたことが、原因で、噂が噂を生むということ?」
何か、ちらっとネットで見かけたことを根拠に、政治家までが、マイクの前でしゃべっちゃって、後で更迭されたりしている。
「そうねぇ。お父さんに対しても、悪いしね。」
そうだよ。
「もうちょっと、調べてみるわ。情報ありがとう。」
有効活用してね。
「ところで、太郎さんの家庭で、妹さんとお父さまは、どうだったの?」
妹っていうよりね、父が、家族を仲良くしようと、非常に努力したんだ。
「例えば?」
毎年、家族で箱根にハイキングに行ってたんだ。
「箱根に、温泉ではなくハイキング?」
そうなんだ。
毎年父が、
『箱根の計画立てろ。』
と、私に言って、私が、時刻表と、国土地理院の2万5千分の1の地形図で、ルートを決定して、準備する。
そして、1泊2日で、明神ヶ岳や明星ヶ岳や神山に登ったんだ。
家族で歩くから、会話が生まれない、という状態には、ならない。
「太郎さんの『ものすっごく幸せな家庭に育った』というのは、どこまでも、本当ね。」
まあ、そうだね。
後、父は良く映画に家族を誘った。
「全員を?」
全員のこともあったし、1人ずつのこともあった。
『レイズ・ザ・タイタニック』『E.T.』『007/ネバーセイ・ネバーアゲイン』
などは、父と見た。
「妹さんは?」
『ウォール街』
とか連れて行ってもらってたな。他にもいくつも行ってたはずだ。
「うーん。やっぱりマニアック。」
そうなんだよ。妹は、沢山見てるから、連れて行くのも大変なんだよ。
「じゃあ、妹さんは、お父さまと、しゃべる機会が、沢山あったわけね。」
まあ、そうだね。
麻友さんも、もう22歳なんだから、お父さまを映画にでも誘っちゃえばいいんだよ。
「大人になったという自覚を持てなくて・・・」
私が、いつ、
『大人になった。』
という自覚を持ったか、教えてあげようか。
「聞きたい。」
父と努めていた会社を辞めて、その次の職も辞めた後、2008年4月から障害者のための就労移行支援の施設ねくすとに通い出した。今は大船にあるけど当時は鎌倉にあった。
そこで、就職のためのプレゼンテーションの練習のために、株式会社アンバリッドの広瀬直子さんという、スチュワーデスか何かを以前していた先生を迎えて、特訓をしてもらった。
その時、私は、何度も、
『私は(わたしは)』
と言ってしまうのを、
『私は(わたくしは)』
と直された。
だから、それ以来、私は、このブログで、『私は』と打つとき、変換後は同じだけれども、『わたくしは』と打っている。
また、人と話すときも、
『わたくしの考えでは、・・・』
と、言うようになった。
この時以来、『ぼく』でも『わたし』でもなく、『わたくし』と言うからには、大人なのだ、という自覚が芽生えたのだ。
麻友さんも、この見えない努力、してみたら?
「ふーん。」
さて、子供の算数から、大人の数学への架け橋上にいる私達。次の定義により、足し算を定めよう。
定義 13
とが自然数であるとき、定義 12 により、
は、自然数である。
この、とに、を対応させる操作を、
『エイ、たす、ビー』
という。
『エイ、と、ビー、の足し算』
とも言う。
定義 13 終わり
「こんなの、何も、定義してないじゃない。」
今の段階ではね。
次の定理を証明しよう。
「証明?」
定理 14
任意の自然数とについて、
が、成立する。
証明
ということは、等号の左辺と右辺の模様が同じということだった。
この場合、並んでいるの数が、等しいということだ。
に並んでいるの数とに並んでいるの数は、順番を入れ換えても、変化しないはずである。
だから、のの数とのの数は、等しいはずである。
よって、が、証明された。
証明終わり
「これが、足し算の交換法則の証明?」
そうだよ。
「私が、中学校の頃は、
『これは、交換してもいいですね。ひとつの法則です。』
と習ったけど。」
「定理として証明することじゃなくて、成り立つと認める、ものなんじゃないかしら。」
それは、自分の数学が、どこまで進んでいるかによるんだよ。
こういうところで、
『小学校や中学校では、足し算というものを、天下り的に教えるから、その交換法則も、天下り的になるんだ。』
という説明をすると、多分、文系の麻友さんは、私が、『あまくだり』という言葉を、間違った使い方をしたと、感じるだろうけど、理系の大学生の間では、
『あまくだり』イコール『理由をきちんと説明せず、いきなり定義すること』
という暗黙の合意があるから、間違いではないんだよ。
「ちょっと、天下り的な説明すると、許さないわよ!」
おお。うまく使えてる。
「太郎さんは、『天下り』なんて言葉、いつ覚えたの?」
高校1年のときの担任の数学の先生が、転校するとき、
『この本は、あげます。』
と言って、次の本をくれた。
梶原壤二(かじわら じょうじ)『独修微分積分学』(現代数学社)
この本が、私の大学生活に恐ろしい影響を与えることを、その時誰も知らなかった。
とにかく、高校3年生になった時、私は数学の先生から、クラスで私だけ、テイラー展開の剰余項(厳密にはテイラーの定理の剰余項)を説明するプリントをもらったので、お返しにテイラー展開に関するレポートを書いた。
も、参考にした。
また、
渡部隆一(わたなべ りゅういち)『テイラー展開』(共立出版数学ワンポイント双書)
という本を買ってきて、読んだりもした。
しかし、そもそも、レポートを書こうと思ったのは、上の梶原さんの本の171ページに、
この機会に,今迄証明無しに用いて来たの定理を証明しよう.そのためには,大変天下り的であるが(数学は元来民主的でない),・・・
と書かれていて、いきなりある式を、定義していたのが、気にくわなくて、それが出てきた理由を、私なりに調べて、レポートにまとめようというのが、きっかけだったのだ。
「そのとき、大学生向けの本で、『天下り的』という言葉を知ったのね。」
そう。辞書は調べなかったけど、前後関係で、意味は分かった。
「その本が、大学生活に恐ろしい影響を与えたというのは、どんなことなの?」
この本には、長いまえがきがあるんだ。
普通に、『はしがき』が3ページあった後、『微積分の学び方とこの本の使い方』というのが4ページある。
「まえがきが、多いとどうなるの?」
こんな一文がある。
実数の連続性公理に基き,公理論的にアクセスをされるとチンプンカンプン,独仏語の会話より難しく,何のことか,さっぱり分からない.これが本書のように,後半の9章にでも出て来れば,未だしも,大学に入学して最初の微積分の講義で出会うと,まるで他の遊星にでも迷い込んだように,不安で堪らず,身も世もないことになる.
これを、高校2年生の時に読んだ私は、
『けしからん。』
と思った。
「何に対して、『けしからん。』と、思ったの?」
現代の数学のあり方に対して。
「そんな、オーバーな言い方をせず、大学の先生に、腹を立てたの?」
いや、高校から入ってきた学生が、最初の授業でとまどうような教え方を良しとする、現代の数学のあり方が、許せなかったんだ。
「そんなことを言うなら、太郎さんには、もっと良いやり方の案があったの?」
私は、高校2年生のとき、この前書いたように、集合論も知ってたし、大学1年生が躓く難所で有名な、イプシロン-デルタも、次の本で、学習していた。
田島一郎(たじま いちろう)『イプシロン-デルタ』(共立出版数学ワンポイント双書)
だから、高校生が、スムーズに大学数学に慣れる方法を知ってたんだ。
「どうやったら良かったの?」
もっと、具体的に、概念を把握していけば、いいんだ。
「でも、太郎さんのこのブログ、ちっとも具体的でないわよ。」
「さっきの足し算の交換法則も、なんて、やを使ってるから、分かり難いったらないわ。」
「実際に、みたいに、書いてもらわないと、実感をつかめないわよ。」
そう。まさに、麻友さんが、感じた、具体的でないという概念。つまり、抽象的だ、ということが、数学をやっていく上で、常に重くのしかかる。
数学を理解するとは、いかに抽象的なものを、具体的にほぐしてやって、理解できるかなんだよ。
『宇宙の年齢を求める(その6)』でも、同じような話をしたよね。ハガキに書かなくっても、分かっちゃうことが、すごく沢山あるって。
「で、『けしからん』と、思ったからどうしたの?」
大学の最初の授業を楽しみにしていた。
「数学の授業?」
そう。
そして、先生は、本当にさっき言ったような授業をした。
「どうなったの?」
各県の進学校で、数学が1番できたような、ものすごい集団だけど、クラスの8割方は、授業が理解できなかった。
「あの本の通りなのね。私、大学の理系の学科なんて、間違っても行っちゃ駄目ね。」
いや、麻友さんは、私が鍛えているから、京都大学の理学部でも、東京大学の理科一類でも、ついて行かれるよ。
「私、そんな、絶壁を登らされたのね。」
私は、まさか、麻友さんが、そんなに数学を知らないって、知らなかったからね。
「それで、太郎さんは、どうしたの?」
クラスの人たちと、自主ゼミをやろうって言ったんだ。
「じしゅぜみって?」
先生についてもらわずに、学生だけの有志5,6名で、本を決めて、一緒に読むんだ。
「太郎さんは、いくつ自主ゼミをやってたの?」
・川口周君のゼミ
・グライダー部の親友たちとのゼミ
・クローン病になってしまったX指定の親友たちとのゼミ
・抽象代数学のゼミ
・トポロジーのゼミ
の5つ。
本当は、X指定の親友とは、『数論』と『体とガロア理論』の2冊読んでたから、ゼミは合計6つ。
「じゃあ、毎日じゃない。」
そう。だから、準備が大変で、授業を放っておいて、ゼミばっかりの生活になる。
「えっ、じゃあもしかして、授業に出なくなり、生活が不規則になって、昼夜逆転の生活になり、そこに失恋のショックが加わって、発病ということになったわけ?」
まさに、その通り。
あの本で読んだことに、
『けしからん』
と、腹を立て、先生を信用せずに、突っ走ったのが、病気の原因のひとつ。
「太郎さんが、自分の病気の原因が、『学問に対する潔癖さ』だと言ってたのが、やっと分かったわ。」
これは、長い時間、説明しないと、理解してもらえない。多分、私の主治医も、理解してないと思う。
「そういう話は、しないの?お医者様と。」
ここまで、つっこんだ話は、なかなかできない。
カウンセラーじゃないんだから。
「あっ、そうか。一月に一回行ってるとは言っても、10分くらいなのか。」
そう。10分で、この1ヶ月に何があったか話し、薬をどうするか決め、渡辺麻友さんとはその後どうですかと聞かれ、次回を何日にしましょうかと聞き、お母さまからみてどうですか、と聞くんだ。とても、こんな話は、できない。
「私のことって、なんて答えるの?」
正直に書くよ。
麻友さんとの関係は、悪くなっていません。
いくつか、私への信号も感じてます。
そのうち、コンサートで、陰からそっと見に行くつもりです。
これが、前回、答えたコメント。
「先生は、なんておっしゃるの?」
『あまり無茶はしないでね。』と言う。
「それが、統合失調症の患者への答え方なのかしらね。」
麻友さんに取って、私は、たくさんいるファンの一人ではなく、ただ1人のかけがえのない人のはずだよね。
それを信じて、数学と取り組もう。
「足し算の交換法則が、法則なのか、定理なのか、という話だったのよ。」
私達は、これを、もっと根源的な理由(模様として等しい)を用いて証明したのだから、私達に取っては、定理だ。
「数学は、どこまでさかのぼれるの?」
結局、いずれ麻友さんも、研究する、論理的推論を規定する14個の推論パターンと、数学で必要になる22個の公理にまで、さかのぼれる。
「じゃあ、その36個の約束事があれば、数学は全部できるの?」
普通の数学は、全部できる。
「普通じゃない数学というのは?」
否定の否定が肯定にならないような数学とか、初めから有限個のものしか扱わないとする数学など、いくつかある。
「そういう変な数学の研究は、いつするの?」
今の普通の数学の中にも、美しい定理や理論はいっぱいある。また、物理学への応用も、見据えている。変な方へ行く前に、それらを楽しもうよ。
「私の数学として作って行くには、どんな工夫をしたら良いのかしら。」
高校2年のときの私が、
『今の数学は、けしからん。』
と思ったように、麻友さんも、
『太郎さんの数学の進め方は、けしからん。』
と、批判的に見るのもひとつの方法だね。
『私だったら、こうするわ。』
というものを、見つけて行ったら良い。
「じゃあ、足し算の交換法則は、太郎さんの証明に頼らず、私の数学では、“正しいことを私が認めるから”、『足し算の交換法則は、正しい。』としても、いいのかしら。」
もちろん、それでいい。
自分を信じて。
「今日は、早い時間に始めたからまだ、20時ね。」
でも、もう6時間も書いてる。
そろそろ、止めよう。
「次回は、どんな話かしら?」
2つの数のどっちが大きいか、という話をする必要があるね。
「不等号の話ね。」
父との『たのしい算数』の話題が、紛れ込むよ。
「楽しみだわ。」
じゃあね。
「バイバイ」
現在2016年8月12日20時18分である。おしまい。