現在2018年8月26日14時12分である。
今朝、『いつかこの雨がやむ日まで』第4回、みたよ。
「私の演技、どう映ってるのかしら、太郎さんに取って」
横に、斉藤由貴さんがいるから、どうしても目立っちゃうんだけど、やっぱり斉藤さんは、上手いね。目つき一つ取っても。
「私、大根役者?」
そこまでは、言わないけど、まだ伸びしろ、十分あるね。
「素人の太郎さんにも、そんなに、分かるのね」
私が、玄人だったら、もっとけなすのかも知れない。良く分かんないよ。
「そういう太郎さんは、本当に、数学者として、天才なの?」
これはね、相対性理論のブログで、『数学を専攻するとはどういうことか』という記事で書こうと思っているんだけど、私の現在の数学の知識は、京都大学の数学科を卒業しましたとは、とうてい言えない、ボロボロのものなんだ。
「えっ、そうなの?」
ただ、私が3回生のとき、専攻していた上野さんのゼミを、
『もう続けられません』
と、謝りに行ったとき、上野さんが、
『君は、数学者になれるだろうと思うよ。苦労はするだろうけどね』
と言い、
『もし、単位がなくて卒業できない、というようなことなら、3回生から大学院へ飛び級する手もあるんだけどね』
というようなことを、言ったのは、失恋して、自信を失っている私を励ますためじゃなかったんだ。
「えっ、じゃあ、なんで、言ったの?」
先生は、こう言ったんだ。
『君は、自分の数学をやっているから、この先も、進めるよ』
とね。
「自分の数学って?」
要するに、他の人が証明したのなら、それは認めて、先をどんどん急ぐ、という数学のやり方でなく、小学校から学んできた算数から全部証明してきて、すべて全部証明した定理以外使わないという姿勢で、大学へ来ても数学をやってる。そして、数学で正しいということの自分なりの基準を持っている。だから、どこまででも、自分を信じて進めると、先生は、みたんだ。
そういう意味で、私は、アーベルにも、ひけを取らない、数学者なんだ。ただ、スピードは、のろいんだけどね。
「太郎さん。太郎さんこそ、伸びしろが、まだまだあるわ」
お互い、神様にもらった才能を、きちんと発揮しなければね。
「じゃあ、ゼミ、始めましょ」
若菜「お母さんと、お父さんって、本当に、天才だったんですね」
結弦「模範的な恋愛の教科書を書くなんて、普通の人の考えることじゃないと思ってたけど、半端じゃないなあ」
あのアーベルが、こんな言葉を残してるんだ。
『弟子ではなく、師に学ぶようにすべきです』
「それ、どういう意味かしら」
若菜と結弦は、お父さんを、どんどん利用して、羽を伸ばしていくといいよ。という意味でもあるよ。
結弦「アハハ、そういうことか」
若菜「じゃあ、始めてください」
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1823年といえば…
広田 シーボルトが来日した年でもある.
佐々木 入学して,どうなったの.
広田 退屈だったらしい.落第している.
佐々木 落第!?
広田 落第した学年で,初めて数学を聴講する.
佐々木 必修じゃ,ないのか.
広田 これが,天才数学者の誕生へとつながるから,人生は面白い.
佐々木 落第も悪くない!
広田 その時の教科書が,また,良かった.ルジャンドルという,一流数学者の書いた「幾何学原論」という本だ.
ガロアは,この本のトリコとなる.
よくできる生徒でも,ルジャンドルをマスターするには,ふつう2年はかかったそうだ.ガロアは,捕物帖でも読むように,一気に通読している.
佐々木 数学の魚が,水を得た.
広田 1827年───小林一茶が他界し,頼山陽が「日本外史」をあらわした年───の事だ.
佐々木 そこのけ,そこのけ,ガロアが通る.
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若菜「お父さんが、師に学ぶべきと言ったのは、ルジャンドルという一流数学者の本に啓発された、というのを、先取りしたのですね」
ばれたか。
結弦「でも、ルジャンドルって、すごいんですか?」
あっ、これは、本当にすごい。数学の高級な本で、ルジャンドルの名前の出てこない本を探すのは、難しいくらいで、ルジャンドルは、ずっと、ガウスのライヴァルだったんだ。
「えっ、あの数学の王様のガウスと?」
そう。
ただ、ガウスがあまりに天才だったので、ルジャンドルには可哀想だった。
若菜「じゃあ、ガロアは、ルジャンドルという師から、数学を学んだんですね」
その通り。
結弦「モンロー主義って、何だ?」
若菜「カチャカチャ『モンロー主義』。アメリカの第五代大統領ジェームズ・モンローが、1823年に唱えたアメリカ大陸諸国と欧州間の相互不干渉主義、とありますね」
「要するに、アメリカが自分の国の政治に、ヨーロッパの国は口を出すなよ、と言ったということなのよ」
結弦「さすが、お母さん。全科目成績優秀って、本当だ」
お父さんが、生まれる前、マリリン・モンローという、ものすごく有名な女優さんがいた。
「思い出した。太郎さん、マリリン・モンローも使って、私を口説いたのよ」
結弦「どうやって?」
「マリリン・モンローが、有名になる前にちょっとだけ出た、『イヴの総て(イヴのすべて)』という映画を知っていて、その話をしたのよね」
若菜「お父さん、どうしてそんなに昔の映画を知っているんですか?」
私は、ミュージカルはそれほどじゃないけど、映画は、かなり観ているんだ。
結弦「それで、マリリン・モンローが、大統領だったわけでは、ないんでしょ」
マリリン・モンローのお父さんは、エドワード・モーテンソン、お母さんは、グラディス・モンローと言って、本人の本名は、ノーマ・ジーン・モーテンソンというんだけど、このお母さんが、自分はモンロー大統領の子孫なんだと言いふらしていたらしい。本当かどうか分からないけど。
とにかく、ある年齢以上の人は、モンローといったら、マリリン・モンローを思い浮かべることは、知っていた方が良い。
若菜「シーボルトとかって、あの時代、よくはるばる、来ますよね」
そうだよなあ。船だし、スエズ運河もないから、喜望峰回ってくるんだろ、信じられない大変さだよな。
結弦「カチャカチャ。シーボルトが来たのは、確かに1823年だな」
若菜「ガロア、落第するんですね」
今の日本では、大学生はかなり落第するけど、小学生、中学生、高校生は、まず落第しないよな。実は、関西の大学生が、自分のこと2年生と言わず、2回生と言ったりするのは、この影響でもあるんだ。
「どういうこと?」
昔から、京都大学は自由なことで、有名だった。
そして、京都大学は、留年という制度が、なかった。
だから、単位が取れてなくても、みんな4年生までなれるんだよ。
ただ、卒業するには、単位が、必要だから、5年生みたいになる人もいるんだけど、医学部じゃないから5年生なんて本当はないだろ。だから、5回生って言ってたんだ。
その習慣から、1年生や2年生も、1回生とか2回生と、呼ぶようになったんだ。
つまり、大学3年生というのは、ちゃんと単位を取って、3年生になってるけど、3回生というのは、入学して3年目と言うだけで、単位を取れてるかは表してないんだ。
関西の大学に、それが広まったんだよね。
「太郎さんが、いつも、2回生のとき、とか言ってるの、変だなって思ってたけど、そういうことなの」
そうなんだよ。
フランスでは、小学校や中学校でも、落第させるみたいね。小説の中なんかにも、出てくる。
若菜「でも、落第して初めて数学って、それまで、買い物もできなかったんでしょうかね」
あっ、いや、算術、つまり、(算数)は、習ったはずだよ。お母さんから。
若菜「あ、そうか」
結弦「その状態で、『幾何学原論』?」
これは、伝説があって、数学者の間では、ガロアは、『幾何学原論』を、2日で読み終えたとか、3日で読み終えた、などという、噂がある。
「伝説でしょ」
ただ、この後、ガロアが大学受験で、2度も失敗しているのをみると、『幾何学原論』を、
『あっ、これは当たり前。これも、当然。これも、証明を読むまでもない』
と、読んでいった姿が、私には、見えるんだ。
若菜「お父さん、ガロアの気持ちが、分かるの?」
「太郎さんが、気が狂ったのも、こういう言葉、聞いてると、分からないではないわね」
結弦「僕たちの冒険には、ものすごい戦士が、付き添ってくれてるんだなあ」
小林一茶は、調べた?
「もちろん。
雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る
は、小林一茶(1763~1827)の俳句だけど、一茶って、結構不憫な人生を送っているのよね。初めて知ったわ」
若菜「カチャカチャ。『頼山陽』って、『らいさんよう』と、読むようですね」
「そうね。『日本外史(にほんがいし)』って、これで読むまで知らなかったわ」
若菜「この時代って、日本は、ヨーロッパなんかに比べて、遅れてるわけじゃないですか。それでも、本を書いて、出版しようという人が、いるんですね」
そうだね。人間って、面白いよね。
若菜や結弦だって、本当はガロア理論なんて、19世紀の古い理論だけど、一所懸命勉強しようと思う。
人間にとって、目の前に何かあると、それに挑戦してみようという気持ちになる人が、必ずいるんだよね。
結弦「じゃあ、もうちょっと、読んでみるか」
その意気。
「じゃあ」
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広田 ラグランジュとか,アーベルとかいった,当時の一流数学者の専門書や論文にまでも,手をのばし始める.1828年には,「循環連分数に関する一定理の証明」という処女論文を,数学の雑誌に発表している.
佐々木 それじゃ,数学の成績も満点だね.
広田 ところが,そうではない.中位だった.
佐々木 オカシイな.
広田 学校の成績評価とは,そういうものだ.天才を計る事は出来ない.
佐々木 僕の成績も,計れない.
広田 ガロアにとって,学校の授業はツマラなかった,らしい.教師や試験官に対して,わかりきった事をクドクドと説明するのは,ニガテだったようだ.
リシャールという数学の先生だけが,ガロアの理解者だったようだ.
佐々木 それじゃ,今なら,大学の入学試験も危ないね.
広田 その通り.事実,高等理工科学校を二度受験して,二度とも失敗している.
佐々木 どんな学校?
広田 さしずめ,フランスの有名大学と,いったところだ.モンジュという数学者の建言で,世界最高の科学・数学教育をするために,1794年に設立されたと,伝えられている.
ラグランジュも,ここで教えていた事がある.コーシーという偉い数学者も,この学校の出身で,卒業してから,ここで教えている.
佐々木 二浪のあとは?
広田 あきらめて,高等師範学校に入る.
この頃───1829年7月2日に,お父さんの自殺という,不幸に見舞われている.
佐々木 どうして,自殺なんかしたの.
広田 さっきも話したように,ブール・ラ・レーヌ村の村長をしていた.専制政治の下で,忠実に職務を果たしていた.が,僧侶に対しては村民の味方で,後盾となっていた.
そこで,僧侶たちの反対に会い,選挙運動にからんで,卑劣な中傷を受けた.
ひどく傷つけられたのが,原因らしい.
佐々木 お母さんは?
広田 1872年,84の歳まで生きている.
佐々木 昔から,女性の方が長生きだね.
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「次回のことを考えて、ここで、切りましょう」
結弦「現代論理学で、お父さんの論理学のプリントに出てきたおじさん、アーベルなんだね」
良く分かったな。
「アーベルの方が、ハンサムだったな」
その話は、この本でも、第18章の最後で、出てくる。
実は、高木貞治の『近世数学史談(きんせいすうがくしだん)』という本を読むと、アーベルは金髪だったことも分かる。
「ハンサムでブロンド。それで、天才数学者。太郎さんが長生きできてる理由が分かったような気がする」
若菜「お父さん。ひどいこと、言われてますね」
結弦「お父さんも、お母さんの演技をけなしてたから、仕返しされたね」
ラグランジュという数学者の名前は、この本で、たびたび出てくる。
忘れたくても、忘れられないほどになるぞ。
若菜「1823年、12歳で数学に触れて、1828年、17歳で処女論文ですか。数学って、5年に要約できるってことですか?」
これは、実は、可能なことなんだ。
ガロアばっかり有名だけど、次の本
田中一之『逆数学と2階算術』(河合文化教育研究所)
- 作者: 田中一之,倉田令二朗
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を読むと、最後に、『おまけ』として、
H.フリードマンは1967年に18歳でスタンフォード大に入った.しかし,並の秀才と少し違うのは,このとき助教授として入ったことである.彼はすでに2階算術について画期的な仕事をしてMITから博士号をとっていた.
と、書いてあるのだ。
結弦「僕はまだ、12歳だから、18歳というのが、どれくらい凄いのか、分からないけど、天才的な人に取って、数学って、どんどん進めるものなんだね」
「18歳って、2012年ね。選抜総選挙で、2位になった年だわ」
前田敦子さんは、最初だったから、凄いけど、その後、AKB48を受け取った後の麻友さんも、凄かったよな。
「つらいときも、あったけどね」
『『感情をなくした』心に響く言葉』って、書いてあげたじゃない。
「あれも嬉しかったけど、一番嬉しいのは、あれから3年経っても、太郎さんが、変わらず、書いてきてくれてることよ」
だから、自然淘汰じゃないって言ったでしょ。
若菜「お二人、感動的シーンですけど、ガロアが・・・」
結弦「ガロア、大学受験、2回落ちてるんだね」
若菜「そうよね、あれっ、二浪?」
結弦「二浪って言ったら、3回受けてることになっちゃうよな」
そうなんだ。前後関係から言って、1828年の夏と、1829年の夏に、受けて、両方落ちて、滑り止めだった高等師範学校に行ってるんだ。
私は、以下の本、
アーベル/ガロア『楕円関数論』(朝倉書店)
- 作者: 足立恒雄,長岡亮介,杉浦光夫,高瀬正仁
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で、確認を取った。
1828年 エコール・ポリテクニクの入学試験に失敗した(一度目).
1829年 [4月6日,アーベル死去.]
4月,「周期的な連分数に関する一定理の証明」
(ジェルゴンヌ誌19,pp.294―301)
素次数代数方程式に関する論文を科学学士院に提出した.
仲介者はコーシー.
5月25日,ガロアの論文が某氏の審査に委託された.
6月1日,ポアソンとコーシーに審査が委託された.
7月2日,父が自殺した.
父の死の数日後,エコール・ポリテクニクの試験に臨み,
失敗した(二度目).
10月25日,エコール・プレパラトワールに入学した.
と、ガロア年譜に、記述がある。
結弦「じゃあ、誤植第2号『◯一浪ののあとは?,✕二浪のあとは?(p.4 l.11)』だね」
「1829年は、アーベルの死んだ年でもあるのね」
そう。数学界は、2つの大きな損失をしている。
若菜「テキストの本文では、リシャールという数学の先生だけが、ガロアの理解者だった、みたいに書いてあるけど、この年譜を見ると、あの偉い数学者というコーシーが、ガロアの論文の仲介までしてくれているじゃない」
そうなんだ。
ガロアに関しては、1896年にポール・デュピュイという歴史学者の発表した『エヴァリスト・ガロアの生涯』という文献だけが、信頼できるものとされていて、出典を2つ以上示すのは難しいらしい。
だから、最近の研究で、やっと、コーシーが、ガロアの才能に気付いていたことが、分かってきたほどなんだ。
日本人の加藤文元(かとう ふみはる)さん。私の大学の先輩で、皆は、『ぶんげんさん』と呼んでたんだけど、色々な研究から、当時コーシーは、ガロアの理論を高く評価していたらしい、と突き止めている。
結弦「高等理工科学校が、エコール・ポリテクニクで、高等師範学校が、エコール・プレパラトワールなんだな」
固有名詞は、訳すとき、どうしようもないことが、あるよな。
若菜「カチャカチャ。エコール・ポリテクニクが、ラザール・カルノーとガスパール・モンジュによって1794年に、創設されたのは、本当のようですね」
結弦「カチャカチャ。ガロアのお母さん、84歳まで生きてたんだなあ。残念だったろうなあ」
さて、次回は、ガロアの最期の話だ。楽しみにしていてくれ。
「ガロアの遺書が、7ページくらいあるんだけど、これも、紹介する?」
出来杉君の話として、軽く読み飛ばそう。なるべく例外は作りたくない。
結弦「早く冒険に入りたいな」
若菜「どんな冒険なんでしょうね」
まあ、期待は裏切らないよ。それじゃ、今日は、解散。
「なんとか楽しく進んでいるわね」
この本の良さは、半分くらいは読まないと、分からない。じっくり読んでいこう。
「じゃ、おやすみ」
おやすみ。
現在2018年8月28日23時27分である。おしまい。