女の人のところへ来たドラえもん

21歳の女の人と43歳の男の人が意気投合し、社会の矛盾に科学的に挑戦していく過程です。                    ブログの先頭に戻るには、表題のロゴをクリックして下さい。                                   数式の変形。必ずひと言、添えてよ。それを守ってくれたら、今後も数学に付き合ってあげる。

数Ⅲ方式ガロアの理論と現代論理学(その10)

 現在2018年10月3日18時13分である。

 麻友さん。神様は、やっぱり私達の味方だよ。

「えっ、何の話? 若菜と結弦も、入れていい?」

 入れていいよ。(その8)のとき、著作権の話を、ちょっとしたじゃない。

結弦「著作権って、CDとかで、コピーコントロールシーディー(CCCD)とかいうのが、あった問題?」

若菜「お父さん。このブログを売らなければ、しばらく大丈夫だろうとか、言ってましたが…」

「私、ずっと気になってたのよ。CDなんかも売っているアイドルの模範を示さなければならない私が、こんなことをしている太郎さんと結婚していいか」

 私も、この連載始めたときから、悩んでた。

「そういうとき、太郎さんのインスピレーションの泉は、図書館なのよね」

 おっ、さすが。

若菜「図書館行ったのですか?」

 そもそもは、返す本があって、行ったんだ。

結弦「著作権を説明してある本か何か、見つけたの?」

 子供向けの本だけど、しっかり書いてある、次の本を、開いた。

社団法人 著作権情報センター『イラストで学べる著作権 1 Q&Aでわかる著作権(学校編)』(汐文社



 例えば、


Q.3 著作権は永久に保護されるの?

 著作権の保護期間は、原則として、著作物を創作した時に始まり、著作者の死後(複数の著作者が共同して作った著作物については、最後に死亡した著作者の死後)50年保護されます。

(8ページより)


などとなっている。

 『数Ⅲ方式ガロアの理論』も、『現代論理学』も、著者、健在だ。

結弦「駄目なんだねえ」

 ただ、私は、大学で、文献をコピーするとき、四分の一以下なら許される、と聞いていた。

 だから、いよいよになったら、第29章まである『数Ⅲ方式ガロアの理論』の第7章までと、第5章まである『現代論理学』の第2章の四分の一までだけ、ガイドブック作ろうか、などと考えながら、この本を借りた。

 それから、私は、法律のことを、考えていた。

 著者の矢ヶ部巌さんや現代数学社、安井邦夫さんや世界思想社が、例え、損害賠償を請求してこなかったとしても、違法なことをしていて、結果的に良いものが得られたから、『勝てば官軍』で、許される。というのは、あまり、模範的ではない。

 そのとき、私の頭にあったのは、論理学で当然認められる、

『矛盾していることがらからは、どんな結論でも得られる』

という事実だった。

 もし、日本の法律が、矛盾した使われ方をしているとしたら、私のガイドブックが違法なら、同時に合法にもなる。

 日本の法律というものを、あまり知らない私は、当然のことながら、日本の法律というと、憲法を、思い浮かべる。

 あそこに、あの本あったな。

 慣れている図書館なら、どこにどんな本があるか、頭に入っている。

 この本である。

内山奈月憲法主義』(PHP研究所)

憲法主義:条文には書かれていない本質

憲法主義:条文には書かれていない本質

 今、気付いた。この本、PHP研究所が出してるんだねぇ。松下幸之助パナソニックじゃないか。そりゃー、いい加減なことは、書けなかったでしょう。

「鶴見図書館にも、なっきーの本入ってるのね」

結弦「なっきーって?」

内山奈月(うちやま なつき)さん、ニックネーム『なっきー』は、AKB48の後輩なのよ。日本国憲法を全文暗唱していて、九州大学法学部教授の南野森(みなみの しげる)さんに、憲法および法律の授業をしてもらいながら、色んな質問もしたりしたものを、1冊の本にしたのよ」

若菜「AKB48って、アイドルじゃなかったのですか?」

「AKB48グループって、全員で300人以上メンバーがいるのよ。だから、それぞれの人が、自分の個性を発揮させて、色んな事にチャレンジした。それが、社会的な規模でブームのひとつになった。『憲法主義』は、そこから生まれた本のひとつね。それで、太郎さんは、何を読みたかったの?」

 誰でも知っていることだけど、日本国憲法は、平和憲法ということになってる。

 でも、憲法を実際に読んでみると、平和憲法であるばかりでなく、日本は、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない、と、はっきり書いてある。


 恐らく、ほとんどの人が知っているのだろうが、実物を見せるというのも重要なことだから、引用しよう。


 日本国憲法

 第二章 戦争の放棄

第九条① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



  『憲法主義』巻末の憲法全文より引用


「これを、読むためだったわけではないでしょ」

 もちろん。こう書いてあることは、知っていた。

 それよりも、私が言いたかったのは、自衛隊って、小学生が見たって、軍隊でしょ。

 だから、ただの法律どころか、憲法までも、違憲状態になっている。

 つまり、今の日本人は、自衛隊違憲だけど、自衛隊はあってほしいから、合憲扱いするということをしている。

 これは、矛盾でなくて、なんだろう。

結弦「そういうことか。お父さんは、さっき『矛盾していることがらからは、どんな結論でも得られる』って言ってたから、憲法自体が矛盾しているから、著作権を無視するのも、合法とできる。ということなんだね」

若菜「お父さんの頭の中って、本当にシンプルにできてるんですね」


 著作権の本と、憲法主義の本を借りて、帰り道、私の心は、晴れなかった。

 なぜか?


 それは、合法化できるとは言っても、違法なことをすることに、変わりはない。

 だが、違法と分かっていても、『数Ⅲ方式ガロアの理論』を、多くの人に読んで欲しい。


という気持ちの板挟みになっていたからだ。


 私は、小学生の時のことを、思い出していた。

 子供達は、履きやすいので、上をマジックテープで止めるスポーツシューズを、皆、履いていた。

 皆、少しでもカッコイイ靴を履きたいと、競ったものだ。

 ところが、6年生が終わりに近付いた頃、

『中学には、マジックテープの靴は、履いて行ってはいけないらしい』

という噂を聞いた。

 そういえば、マンションの先輩たちも、紐で結ぶ靴を履いている。

 私は、

『一体どういうことだ』

と、憤った。

 AKB48の元メンバーで、初代総監督の高橋みなみさんは、貧しくてこれから入学する中学の文化祭で、お古の制服を買ったりして、辛い思いをしているのに、私は、入学式の何ヶ月も前に、制服を仕立ててもらって、余裕もあったんだよね。

 入学式の日に受け取った、生徒手帳の校則を、全部読んだんだ。

若菜「校則って、結構あるんですよね」

 そうしたら、靴に関してこう書いてあったんだ。


①靴は、滑らない白い靴を履くこと

②体育の授業中に脱げるといけないので、紐で結ぶ靴とすること


結弦「そういうものなんだ」

 麻友さんは、ルールを守る人だから、こういう場合、白い紐で結ぶ靴を、履いて行くのだろうか?

「あれだけ明確に書いてあればねぇ」

 私は、どうしても、マジックテープの靴を履いていきたかった。だってその方が履きやすいんだもの。

 でも、ルールを破るのは、いやだった。

「じゃあ、どうしたの?」

 紐で結ぶ靴にするのは、体育の授業のためだ。

 だから、白いマジックテープの靴と、白い紐で結ぶ靴を、一足ずつ買ってもらい、学校の下駄箱の中に、白い紐で結ぶ靴をいれておいたのだ。

 通学中は、マジックテープの靴を履き、体育の授業の時だけ、紐の靴を履いてたんだ。

若菜「憲法第九条の解釈なんて、信用できないですけど、お父さんのその解釈は、小学生でも、『あってる』って言うと思います」

結弦「いや、実際、僕も、正しいと思うよ」

「聞いておきたいんだけど、それ、創作?」

 いや、これ、すべて本当なんだ。

 私のクラスの担任の先生は、女の先生だったけど、すぐビンタするので有名で、恐いことで有名な先生だったんだけど、その先生が、私が靴を2足(紐靴と上履き)持ち込んでいるのに気付き、他の先生が、『マジックテープの靴は、・・・』と、言おうとしたとき、本当のことを話したので、それ以来、校則違反とは、一度も言われなかった。

「私、そんな恐いことできないわ」


 私は、よっぽどのことがない限り、ルールは守りたい人間であることは、今の話で、分かってもらえたと思う。

 図書館の帰り、駅前のSEIYUの缶コーヒーの自動販売機で、缶コーヒーを買った。

 いつもだと、ワンダモーニングショットにすることが、多いのだが、最近ヤクルトも飲んでいるから、と思って、ダイドーの世界一のバリスタ監修というのを、飲んだ。

 ちょっと高いが、それ以上に、味も良い。


憲法でさえないがしろにされているのだから、で、押し通さなければならないかな?』

と、考えていたとき、コーヒーのキャップにわずかに残っていたコーヒーが、手にかかってしまった。

『あー、ベタベタ。悪いことしているぞ、と、神様が、警告してるのかな?』

と、思った。

若菜「お父さん縁起担ぐんですね」

 いや、私は、科学者だ。こういうことが起こったとき、こう考えるんだ。

『今から家へ帰って、ブログを書き始める前に、もうひとつ、何か悪いことが起こったら、それは、神様が、考え方を改めなさい、と言っているんだと、認めよう』

とね。

結弦「家に帰ってきて、どうだった?」

 手を洗おうと、洗面所の電気をつけたら、電球が、切れちゃったんだ。

「古くなってたのかしら?」

 いや、そんなことは、絶対にない。

 だって、9月20日に前のが切れて、新品を買ってきて、まだ2週間だよ。

若菜「確かに、そこまでついてないとなると、神様が、警告しているというとらえかたも、できますね」

「それで、どうしたの?」

 コンビニに、買いに行ったんだ。ところが、ないところが2軒もあって、3軒目で、やっと買えた。

 1時間以上、かかってしまった。


結弦「結局、神様は、考え方を改めろ、と言ってるんだし、どうするの?」

 私は、最初に挙げた、著作権の本を、見ていった。


Q.11 テレビドラマをダビングしてクラスの友だちに貸してもいいの?


みっちゃん きのうのドラマの最終回見逃しちゃったー!

チヨちゃん みっちゃん私ビデオに録ったよ。貸してあげる。

みっちゃん チヨちゃん!

ケンサクくん ちょっとまって

ケンサクくん 自分で録画したビデオをほかの人に貸してもいいのかな?

チヨちゃん お金をもらって貸すわけじゃないし、かまわないんじゃないかな?

ピース教授 いいえ、いけません。テレビドラマをビデオに録ってほかの人に貸すことは、著作権を侵害することになります。


(24ページより。本当は、マンガになっているのだが、言葉はそのままに、活字体とした)


などと、書かれている。

 どんなに潔癖な、まゆゆだって、ゆきりんが録画してくれて、ブルーレイに焼いてくれたドラマの1本くらい、観たことあるはずだよね。

 そんなことを、一度もしたことのない人なんて、文明人の中に、いるはずない。

 誰だって、法律破ってるんだから、

『赤信号 みんなで渡れば 危なくない』

だよ。


「太郎さん。そこまでの人だったの? 私には、『ローマの休日』のヘップバーンの様に、模範演技を示せと言いながら」

 そうだよね。麻友さんは、許してくれないよね。


 この本、Q.1からQ.21まであるんだけど、Q.18まで来たとき、それは起こった。


Q.18 読書感想文に本の内容を書き写してもいいの?


チヨちゃん この本とっても感動したわ~!

チヨちゃん そうだ、宿題の読書感想文はこの本について書こうっと。

チヨちゃん えーと、わたしが一番感動したのは・・・ そうそうこのセリフ・・・

ケンサクくん ちょっとまって、
本の内容をそのまま書き写してもいいのかな?
読書感想文はみんなの前でも発表するかもしれないし、そのまま書き写すときは著作権者の許可がいるんじゃないかな?

チヨちゃん えっ そんな~
これが書けないと読書感想文が書けなくてこまるよ~
ケンサクのイジワル~

ピース教授 ご安心を。この場合は、著作権者の許可はいりません。

 読書感想文を書くときに、だれかが書いた本の一部分をそのまま書き写してきて、それに対して自分の意見をいったりすることがありますが、これを「引用」といいます。

 このように書き写すことがどうしても必要な場合は、いくつかの点に注意すれば引用文の著作者の許可をもらわないで行うことができます。


チヨちゃん 「引用」で注意することは?


①引用してくる文章に対して、自分の作品が中心であることが必要です。たとえば、感想文の全体が800字なのに引用してくる文章がそのうちの500字を占めるような場合は、正しい利用とはいえません。

②どこまでが自分の文章で、どこからが引用してきた他人の文章なのかがはっきりわかるように、引用する他人の文章をかぎかっこでくくるなどの工夫が必要です。

③引用してくる作品の題名や作者の名前を表示することも必要です。


ケンサクくん ・・・だってよかったねチヨちゃん・・・っておいおい泣くことないだろ。

チヨちゃん ちがうの、感想文書いてたら感動がよみがえってきちゃって・・・。



(38ページ,39ページより。一部マンガの言葉を、活字体に直した)


「えっ! ちょっとそれ、話が全然違うじゃないの」

若菜「私達が、著作権という言葉でイメージしていたものが、実際と異なるようですね」

結弦「ちょっと、そのマンガが書いてあるページ、見せられない?」

 四分の一以下だから、許されるかな?

 これだ。

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結弦「あー、ホントだ」

若菜「お父さんの、少なくとも『数Ⅲ方式ガロアの理論』についての文章は、これに適合しますね。

 まず、あの本を読んだ感想が主体ですし、本の全文を一気に複写したのでなく、部分部分を引用したものですしね。

 そして、引用の注意点の①は、

 お父さんが、ガロアの本の本文より何倍もしゃべってるからいいですし、

 引用の注意点②は、

 ガロアの本の本文を、『************』で、囲んでどこまでかはっきりさせてますし、

 引用の注意点の③は、

 ちゃんと、矢ヶ部巌『数Ⅲ方式ガロアの理論』からだと、書いてあるから、大丈夫ですね」

 それだけでは、駄目だよ。

「えっ、完璧に見えるけど」

 そもそも、これは、読書感想文でなければならないんだ。

 だから、出版したりして、お金を稼ぐことに利用してはいけない、という大前提がある。

「えっ、太郎さん。これでお金稼ぐことは、諦めてるの?」

 だって、そもそも、矢ヶ部巌さんの本だし。

若菜「じゃあ、なんのために、これを、やるのですか?」

 この本を、読むと、ものすごく計算力が付くんだ。

 そのためだけにでも、この本を読む価値がある。

 日本の若者に、もっとこの本を読んで、計算力をつけて欲しいんだ。

結弦「計算は、コンピューターがやってくれますけど」

 まあ、小学生なら、そう思っていていいけど、『数Ⅲ方式ガロアの理論』の第8章の枕に、


 計算・計算・計算───華麗な理論も,地味な計算の上に築かれる.ガロア理論の場合も例外ではない.


とある。数学の深淵は、麻友さんの心の闇と同じくらい深いぞ。

「まあ、ひどいこと言って!」

若菜「出だしのところで、『神様は、やっぱり私達の味方だよ』と言ってらしたのは、著作権侵害にならないことが、分かったからですか?」

 いや、それとは、微妙に違う。著作権侵害にならないことが分かったことではなく、日本国民が皆、憲法違反しているんだから、私がちょっとくらい著作権法違反をするくらい、悪くないじゃないか、と思ってブログを書き始めようとしていたときに、手にコーヒーがかかったり、切れるはずのない電球が切れたりして、私を、一旦立ち止まらせ、借りてきていたあの本の38ページまで、読ませてくれた。そういう風に、私に、悪いことをしているのではないかな、と思いかけてたのを、いや悪くないんだと気付くように、導いてくれたことを、神様は、私達の味方だと、表現したんだ。

 麻友さんも、私も、模範を示せなくてはならない。だから、何かが良くないと気になったのなら、それを、見過ごしちゃ、いけないんだ。

『あのとき、気になったのにな』

と、後から言うようでは、模範は、示せない。

 その、模範を示すことを、神様が、応援してくれてる。

 私は、そんなカッコイイ模範を示そうという気はないんだ。

 でも、自然科学の良心が、著作権法破ってたら、誰も、『良心』だなんて、信じないよね。

若菜「お母さんも、模範を示そうと本気で思ってるんですか?」

 それは、分からない。実際に言葉を交わしたことはないから。

 ただ、麻友さんのインタビューに答えたことなどを見ていると、模範を示そうと本人が強く願ってなくても、麻友さんの振るまいが、皆が真似たくなるような、理想的なものになってるんだよね。

 実は、私は昔、プラトンの『饗宴』という本を読みかじったとき、

ソクラテスは、その生き方そのものが、理想的なものになってた』

というような一文を、読んだんだけど、麻友さんって、生きている芸術品みたいなものなのかも知れない。

結弦「じゃあ、お母さんは、人間国宝だ」

「言わせておけば、とんでもないこと、言い始めるわねぇ。それよりも、今回も、ちょっと『現代論理学』始めない?」

 芸術品が言ってるんだから、始めよう。



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   第Ⅰ章 命題論理学



 この章の命題論理学{\mathrm{(propositional\ logic)}}*では,論理的な連関を考察するに際し,命題を単位とみるという立場がとられる.つまり,次章の述語論理学では,命題がさらに個体と述語という構成要素に分けられるが,本章では,ひとまず命題を要素と見,命題間の論理的な結合に注目する.命題論理学を構成するには種々の方法があるが,ここではトートロジーの体系,自然推論,ならびに公理系という3つの代表的な方式をとりあげる.これらの方法はそれぞれ独自の特色をもつが,結果として互いに同等であることが示される(ⅠーⅢ,§13).本章は全体として後の諸章への導入部という意味をもち,論理学上の諸概念や手法を命題算という比較的単純な体系に即して例示するといった狙いをもつ.

*命題算{\mathrm{(propositional\ calculus)}}とも言う.


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 これが、『現代論理学』の第Ⅰ章の序文だ。

「あの、何を質問しても、いいのよね?」

 うん。もちろん。

「じゃあ、昔から、気になってるんだけど、その立てにまっすぐなⅠは、『いち』よね」

 そうだよ。正確には、ローマ数字のいちだ。

「それ、時計にも書いてあって、Ⅱ、Ⅲ、となるのよね」

 その通り。

「そこから、行ったり戻ったりするわよね」

 良く観察してるね。そもそも5がⅤなんだけど、そこへ行く前が、あるんだよね。

「そう。確か、Ⅳが、4を表してて、Ⅴが、5を表してて、Ⅵが、6なのよね」

 これは、紛らわしいけど、麻友さんの言ってるので、合ってる。

「この、ⅣとⅥが、どっちがどっちか、不安になるんだけど」

 そうか。じゃあ、私が、どう覚えているか、話してみようか。

 数字を使うのは、現代では試験の点数や、スポーツの点数や、台風の強さなど色々あるが、最も素朴には、ものの個数を数えることだよね。

 その場合、1個、2個、と、数えていく。

 紀元前の時代だから(ローマ数字が使われ始めたのは、紀元前200年頃と、言われている)、紙に書くのではなく、地面の砂の上に書いていたのだろう。

 そうすると、昔も今も、右利きの人が多いだろうから、右から左へ、数字を並べた可能性が高い。その方が、後でいくらでも大きな数を、書けるからね。

結弦「えっ、どうしてですか?」

 そうじゃないかい? 左から右へ並べるのは、不自然じゃないか?

若菜「その推論は、真をうがっているとは、思えないですね」

 じゃあ、こう考えるのは、どうだい?

 ひとつのまとまった数を、手紙とかに書く場合、西洋のほとんどのアルファベットは、左から右に書く。この場合、数字は当然大きい桁の数の方が重要だから、位の高い桁から書いていく方が、信頼性が高い。

 だから、大きい数の位が左にあって、小さい数の位が、右になる。

「えっ、太郎さんって、数学勉強するとき、そうやって、自分なりにお話作って、覚えていっているの?」

 教科書に由来が書いてあるときは、それを元に、お話作るけど、ただ公式が書いてある場合は、

『この公式、どうやってできたんだろうなあ』

って、お話作るの数学やる楽しみのひとつだよ。

若菜「お父さんの数学は、後で修正もできる、一大物語なんですねえ」

「私、太郎さんの数学や物理学の話、3年半聞いてきて、どうしてこの人は、こんなに楽しそうに、数学や物理学を語れるのだろうと、ずっと不思議だったのよね。今やっと分かったわ。まるで、ロールプレイングゲーム。いや、半分以上本物の歴史とかみ合ってる冒険しながら、小学校の頃から大学まで、ずっと数学や物理学やってきてたからなのね。太郎さんは、前の孔子の言葉の『これを好む者はこれを楽しむ者にしかず』の、楽しむ者になってるわよ」

 そうか。だから私は、気が狂って、一度全部崩れた数学だったけど、20年以上かけて、築き直してくることが、できたんだな。

結弦「それで、さっきの右から左へ、数字を並べた可能性が高い、というのは、大きい数の位が左にあるとすれば、納得できるけど、そうだとすると、どうなるの?」

 小さい数の位が、右にあることは、分かったな。そうするとね、1足すごとに、それまで、そこにあった数を、左に押しやって、またⅠを書くんだよ。

 それを、続けていると、

1        Ⅰ
2       ⅠⅠ
3      ⅠⅠⅠ
4     ⅠⅠⅠⅠ
5    ⅠⅠⅠⅠⅠ
6   ⅠⅠⅠⅠⅠⅠ
7  ⅠⅠⅠⅠⅠⅠⅠ

と、なってくるよな。ローマ時代の初期には、本当にこんなことやってたらしい。

「ちょっと、Ⅰが7つなんて、それも、創作でしょ」

 麻友さん分かってないなあ。私は、そんなにそんなに、いい加減なことばかり、言ってるわけじゃないんだよ。

 これは、中学3年生のときに数学の先生に勧められて読んだ、

銀林浩・榊忠男『数は生きている』(岩波科学の本)

数は生きている (岩波科学の本)

数は生きている (岩波科学の本)

を、今開いて、確認取ったことなんだから。

「えっ、じゃあ、Ⅰを永遠に並べてたの?」

 いや、10にあたるⅩは、初期からあったらしい。

 誰でも、10揃うと、嬉しいものだ。

 麻友さんと結婚して、10年経つと、錫婚式(すずこんしき)となる。そのときは、ケーキだけじゃなくて、もっと美味しいものを食べよう。

「錫なんて、あまりパッとしない金属ね」

 でも、調べてみると、10円玉の金属である青銅の成分になってるし、電線をはんだ付けするときのはんだの成分としても重要。

「全然綺麗じゃない」

 じゃあ、これは?

 13.2℃以下で、安定なαスズ(灰色,ダイヤモンド構造)を取る。

「地味ー」

 良く言った。麻友さんと私は、結婚60年のダイヤモンド婚式まで、添い遂げるぞ。

結弦「ちょっと、


1        Ⅰ
2       ⅠⅠ
3      ⅠⅠⅠ
4     ⅠⅠⅠⅠ
5    ⅠⅠⅠⅠⅠ
6   ⅠⅠⅠⅠⅠⅠ
7  ⅠⅠⅠⅠⅠⅠⅠ


ここからどうなるの?」

 結弦が怒ってる。

 それでね、書くのが大変だと無精する人が出てくるんだよ。

 5は、10の半分で、計算しやすいから、『ⅠⅠⅠⅠⅠ』を『Ⅴ』と表そうって、決めたんだよ。

 そうなると、5の次に6になってⅤを左へずらすと、

5       Ⅴ
6      ⅤⅠ

 こうなる。さらにⅠ増やすと、

5       Ⅴ
6      ⅤⅠ
7     ⅤⅠⅠ

となる。

 人間って、少しでもサボろうとするんだね。

 4を、

4   ⅠⅠⅠⅠ

と書くのすら、嫌になったんだ。それで、今までに、ⅤⅠは、現れてるけど、ⅠⅤというのは、ないことにつけ込んで、

『Ⅴの左にⅠがあったら、5から1引いて4だということにしよう』

と、決めてしまったんだ。Ⅹのときも、同じように、左にⅠがあったら、1引くとした。

 こういう風に、お話を作って覚えると、自然な流れに乗って話が進むから、無理に覚えようと思わなくとも、面倒な概念が覚えられるでしょ。

「でも、私、発見! その物語、自分で作らないと、頭に入らないわ」

 そう。だから、私は、それぞれの人が、自分の物語を作る、お手伝いをしてあげたいんだ。

「お手伝い?」

 例えば、麻友さんは、ローマ数字のことを、質問してきたとき、ほんのちょっと、ローマ数字についてもっと知りたいな、という気持ちがあった。

 そして、私の物語を聞いた。

 今の麻友さんには、時計の文字盤にある、

1        Ⅰ
2       ⅠⅠ
3      ⅠⅠⅠ
4       ⅠⅤ
5        Ⅴ
6       ⅤⅠ
7      ⅤⅠⅠ
8     ⅤⅠⅠⅠ
9       ⅠⅩ
10       Ⅹ
11      ⅩⅠ
12     ⅩⅠⅠ


の、もっと先を、書けるはずじゃない?

「え、例えば、13ってこと?」

 そうだよ。

「それは、うん、『ⅩⅠⅠⅠ』よ」

 合ってるね。その次は?

「えっ、それは、無理よ。どうしていいか分からない」

 ローマ人だって、自分なりにルール決めてったんだよ。麻友さんも、決めればいい。

「本来なら、

13     ⅩⅠⅠⅠ
14    ⅩⅠⅠⅠⅠ

としたいのよね。でも、4つになると、5から引きたくなるし・・・」

 書いてみなって。

「うーん、

13     ⅩⅠⅠⅠ
14    Ⅹ  ⅠⅤ

こうかしら?」

 ⅩとⅠⅤの間に、すきま開けておく意味があるの?

「だって、『ⅠⅤ』の『Ⅰ』が、こっちのものとしておかないと、

    ⅩⅠ  Ⅴ

となったら、11たす5で、16となっちゃうもの」

 確かに、現在の、位取り記数法という、10の桁、100の桁、というのに慣れている、麻友さんには、10の位に1足されたように思えるだろう。

 だけど、ローマ人たちは、もっと原始的に考えていたんだ。

 10が、もう一個来たときには、『ⅩⅩ』と、書けばいいや、と思っていたんだ。

 だから、下の位から、『Ⅰ』が1個上がってくるなどとは考えず、

13     ⅩⅠⅠⅠ
14    Ⅹ  ⅠⅤ

を、そのまま、

13     ⅩⅠⅠⅠ
14      ⅩⅠⅤ

と、書いて、けろっとしてたんだよ。

「えっ、じゃあ、その続きは、

13     ⅩⅠⅠⅠ
14      ⅩⅠⅤ
15       ⅩⅤ
16      ⅩⅤⅠ
17     ⅩⅤⅠⅠ
18    ⅩⅤⅠⅠⅠ
19      ⅩⅠⅩ
20       ⅩⅩ
21      ⅩⅩⅠ

ということの、繰り返し?」

 まあ、そんな感じ。ただ、10ごとに増えるんではかなわないので、50をLと表していたらしい。

「これで、ローマ数字の冒険は、おしまいか。でも、最後にズラッと書けたとき、ちょっとだけ、嬉しかったな♡」

結弦「僕が、途中まで牽引したのに、お母さんズルッ」

若菜「でも、お父さんという人が、数学に関して本当に、ドラえもんの四次元ポケットのようなものを持っていることが、判明しましたね」

 『現代論理学』の第Ⅰ章の序文は、本文を読みながら、検討することにしよう。

 じゃあ、解散。



「あれっ、太郎さん、昨日の夜の薬、飲まなかったの?」

 いや、ちゃんと飲んだよ。

「でも、昨日の18時13分に書き始めて、もう翌日の13時になってるわよ」

 途中で止めるのが、もったいなくて、食事に行った以外一気に書いちゃった。

著作権の問題に、決着を付けてくれたことは、感謝してるわ。でも、そもそも著作権という概念が必要なのは、お金を稼ぐためなのよ。著作権を守らないと、違法コピーが出回って、映画の女優や俳優も、手にできるお金が減って、こんなお金の儲からない映画作りなんていう仕事、辞めてやれ、となって、映画産業が衰退する。でも本当は、面白い映画を観たいでしょ。だったら、違法コピーはやめましょうね。というようにして、論理の輪が閉じるのよ。それなのに、太郎さんは、お金稼げなくていい、なんて言っちゃうんだもの」

 でも、その麻友さんの論理は、ボタンの掛け違いだと思うな。映画を作っている人たちは、お金のためではなく、映画を作りたいから作っているのだと思う。

 数学者が、何の役に立つのか分からない問題に、やっぱり数学が好きだから、取り組むように。

 違法コピーが、出回って、収入が減った?

 そもそも、その少ない方の額が、本来もらえるべき収入だったんじゃないのかい?

 人間、欲を出し始めると、切りがない。

 著作権の問題を解決する切り札を、私はまだ、『お金をなくす』以外、持ってない。

「若菜と結弦の2042年では、どうなってるのかしら?」

 多分、解決しているんだろうよ。だから、

『3Dプリンター盗まれたら、他の3Dプリンターで、また3Dプリンター作ればいいだけじゃないですか』

なんて、平気で言えるんだよ。

「そうだったわね。でも、お金という概念がなくなったら、今までの、稼いできたお金がなくなるのは、寂しいなあ」

 イエス=キリストの言葉に、

『お金持ちが、神の国に入るのは、ものすごく難しい』

というようなものがある。

 あんなに、AKB48が、楽しかった、と言ってる麻友さんでさえ、

『お金はあげられなくなりました。思い出だけをプレゼントします』

と言われたら、尻込みするか。

「泣いちゃう」

 辛かったんだね。11年と28日だものね。


 でも、私が、いつだったか、麻友さんの心の闇を、22年後までには、無血開城して、人の住めるブラックホールにしてあげられるかも知れない、と言ったことがあったでしょう。

 まだ、麻友さんは、ブラックホールというものを、よく知らないから、何をいい加減なことを、と思っているだろう。

 でも、ちょっと予告編を、見せてあげる。

 ブラックホールって、光が吸い込まれていくわけだから、少なくとも、ある程度、大きさがあるんだよね。

 普通の人は、その光の出てこられなくなる半径が、1cmくらいとか、1mmくらいとか、思ってるんだよね。

 確かにそういうブラックホールも、あり得る。

 だけどね、ブラックホールの半径が、この宇宙の半径と、同じとすることも、可能なんだ。

 つまり、私達の宇宙自体が、宇宙の広さのブラックホールの中だということなんだよ。

 私達の宇宙の外にいる神様から見て、このブラックホールからは、何も出てこないな、という意味で、ブラックホールになってるけど、中では、私達が、暮らしてるんだよ。

「私、ブラックホールに、住んでるの?」

 これは、数学的には、そうだとしても、矛盾はない。

「そのブラックホールから、出られないの?」

 出られるなら、ブラックホールじゃない。

「私の心の中も闇、体の外も闇、どうすればいいの?」

 どうせ、みんな出られないんだから、お金を奪い合ったり、戦争したりするの、やめようよ。

 ひとりの女の人が、ひとりの男の人としか、付き合っちゃいけない、なんていう堅苦しいのも、やめようよ。

「プッ、今まで、心の闇を、どんどん深くしてたけど、ここだけが、ブラックホールだと思ってたけど、周り全部、ブラックホールだったなんて、・・・」

 あっ、麻友さんが、私の物理の話を聞いて、笑った。

 これ、3年半で、初めてだよね。

 これ、レントゲニウム・メダルものだよね。

「何それ、レントゲニウム・メダルって?」

 ああ、以前元素の周期律表という水素やヘリウムや金や銀や、いーっぱい表になってるの見せたでしょう。

 あれで、銅の下が、銀で、銀の下が、金で、金の下が、レントゲニウムという元素なんだ。ドイツのレントゲンが、X線(えっくすせん)を発見してから100年目に発見されたので、レントゲニウムって名前が付いてるんだ。

 金メダルより上のメダルができるとしたら、これになったりしてって、いつも思ってたんだ。

「そんな、内輪受けには、笑えないけど、さっきのは、思わず笑っちゃったわね」

 じゃあ、予告編大成功。

 私は、これから、寝ます。

「太郎さん。感謝してるわよ」

 良かった。じゃあ、おやすみ。

「いい夢見てね」

 現在2018年10月4日15時09分である。おしまい。