女の人のところへ来たドラえもん

21歳の女の人と43歳の男の人が意気投合し、社会の矛盾に科学的に挑戦していく過程です。                    ブログの先頭に戻るには、表題のロゴをクリックして下さい。                                   数式の変形。必ずひと言、添えてよ。それを守ってくれたら、今後も数学に付き合ってあげる。

整数環(その7)

 現在2019年2月19日17時21分である。

「あれっ、この連載は、立ち消えになったんじゃ・・・」

 私は、しぶとく、覚えている。

「今日の話は?」

 『1から始める数学』の頃から、マイナスかけるマイナスが、プラスになる、というのを、話すと言いながら、まだ説明してなかった。

「それ、中学の頃から、気になってるのよ。そうだ、聞いてみよ」

「太郎さん。本当に正直な話、太郎さんでも、マイナスかけるマイナスがプラスというのに、違和感感じてるんじゃない?」

 ちょっと、脱線するけど、相対性理論のブログの『SONY許せぬと書きたかったが1』で、当時いずみ野にあった本を思い出しながら書いたことを、清書してみよう。

パリティ編集委員会編『さようならファインマンさん』(丸善


「教師として───デイヴィッド・L・グッドステイン」より、145ページから引用。


 今は亡きトミー・ローリッセンが、物質の物理(原子物理、固体物理、プラズマ、その他すべてのことについてすこしずつ)を教えていた。彼の試験は、当時のカルテクとしては例外的で、つねに本は閉じなければならず、本の参照は許されなかった。ローリッセンは憶えることを重視していて、私も含め、学生たちをがっかりさせていた。そこで、(私の指導教員であった)ロバート・バッカーがその授業はどうかと尋ねたとき、私は記憶の重視について不満をいった(そのときいったことを今繰り返せば、憶えるということは、学生たちの常識では、トロール(北欧伝説の洞窟の巨人)──カルテク語でガリ勉──と有機化学者にしか必要ないことなのであった)。

 バッカーは私に次のように忠告した。「物理学者は物がどれくらいの大きさかを知っている必要がある。したがって、物理定数は暗記すべきである。物理学者の商売道具であるマクスウェル方程式シュレーディンガー方程式等々は、呼吸と同様に自然に身についていなくてはならない。君は物理Xに出席したことがあるだろう。ディック・ファインマンが、かつて一度でもなにかの方程式や物理定数の取り扱いでもたもたするのをみたことがあるかね。」

 言い換えると、狡智にたけたバッカーは、私のファインマンに対する英雄崇拝をうまく利用して、私を骨の髄まで恥じ入らせたのであった。私を物理学者に仕立てあげたのは、ローリッセンの授業であったといっていい。だが、もしバッカーが私の痛いところに一撃を加えるすべを知らなかったなら、私はローリッセンの授業と本気で取組むこともなかっただろう。



 これが、元になっていたんだ。

「それで?」

 不勉強な私は、マクスウェル方程式や、シュレーディンガー方程式は、まだ空気のようになっていないが、少なくとも、

(-3)✕(-8)=24

くらいは、当たり前になっている。

「じゃあ、どうやって証明するの?」

 ひとつ例を挙げれば、まず、麻友さんでも、かけ算の交換法則、つまり、

3✕8=8✕3

は、認めるよね。

「それくらいは、大丈夫」

 それから、マイナスかけるプラスは、計算できるよね。

 例えば、

(-3)✕8=-24

というようなの。

「うん。まあ、マイナス3が、8個だものね」

 最後に、マイナスの数になっても、交換法則が、成り立つとして良いよね。

3✕(-8)=(-8)✕3=-24

というようなの。

「それは、交換法則って、言うより、3が、マイナス8個って、言うか、・・・。本当は、分かってない」

 おお、正直!

 特待生は、そうでなきゃ。

「それ、認めて良いの?」

 一応、これを、認めないと、マイナスかけるマイナスがプラスという定理を、証明できないけど、数学者は、メインの定理を証明していく過程で、こういう風に、小さい問題が生じたとき、取り敢えず、補題(ほだい)という形で、これを認めますよ、と、宣言して、先に進むことが多い。

「丁寧に書くと?」

 補題

プラスかけるマイナス=マイナス



 そして、先に進む。

「どういう風に?」

 証明したいのは、

(-3)✕(-8)=24

だった。

「そうね」

 まず、こうやってみる。

{3+(-3)}=0

{8+(-8)}=0

「それは、その通りね」

 ここで、ちょっと、アクロバットだけど、こうしてみる。

{3+(-3)}✕{8+(-8)}=0✕0

「えっ、ちょっちょっと、待ってよ」

「うーん。同じもの同士、かけたのか」

「間違いではなさそうね。0かける0は、0のはずね?」

 そう。0分の0は、『定義しない』だけど、0かける0は、0。

「そうすると、展開ね」

 うん。

「{3+(-3)}✕8+{3+(-3)}✕(-8)=0

 そして、

3✕8+(-3)✕8+3✕(-8)+(-3)✕(-8)=0

となる。ああ、太郎さんの企みは、見えたわ」

 ひとりで、できるかい?

「大丈夫。

 3✕8=24

(-3)✕8=-24

 それから、補題により、

 3✕(-8)=-24

 最後に、

 (-3)✕(-8)=?

が、残る。

 だから、

24+(-24)+(-24)+?=0

もう明らかよね。

?は、24なのよ。

 これより、

(-3)✕(-8)=24

QED」


 うん。一応、証明として、きちんとしたものになっている。

 ただ、数学者だったら、補題を後から証明しなければならない。

「あっ、そうかー


 補題

プラスかけるマイナス=マイナス


を、証明しなきゃ、ならないのか」

「どうすれば、いいの?」

 定理自体は、とりあえず証明したが、途中の補題で、苦労する、ということは、良くある。

「この場合どうしたらいいかしら?」

 中学で習うような、当たり前の議論しか、私にも、思い浮かばない。

「当たり前って?」

 かけ算では、負の数でも、交換法則が、成り立つ。

という定理というか、定義というか、を使うこと。

「それを、使っていいの?」

 中学のとき、どう習った?

「私、中学、授業4分の3くらいしか、出てないのよ。試験前に頑張ったから、成績は良かったけど、世の中に、太郎さんみたいな、先生の間違いまで指摘できるような人がいるなんて、知らなかった。今日の話だって、太郎さんにしては、珍しく、易しい話してくれたから、ここまで付いてこられたけど、どう習った? って言われても、分からない」

 そう。それでいい。特待生じゃなきゃ、できない答えだ。分からないものを、分からないというのは、非常に大切なことだ。

「分からない、と言って、褒められるなんて」

 この場合、あの補題


 補題

プラスかけるマイナス=マイナス


を、認めないと、マイナスかけるマイナスがプラス、は、証明できない、ということが、ある意味分かった。と、いうことだ。

「『ある意味』というのは?」

 誰かが、まったく別な方法で、証明するかも知れない。

「太郎さんの、『保留を付け続ける姿勢』ね」

 そう。


「じゃあ、私達は、一応、マイナスかけるマイナスがプラス、ということを、証明できたのね」

 そうだよ。

 少なくとも、麻友さん的には、溜飲が下がったのじゃないかな?


「私、これは、こうです、って、習って、『AKB48中学数学』にも書いてあって、確かめよう、なんて暇、なかった」

 走らされてきたんだものね。

 辛かったね。

 100分の1くらいしか、分かってあげられないけど、私も、京都大学を22歳で中退後、麻友さんに出会う43歳まで、21年間、辛かったんだからね。

「もう寝た方が良いわ。21時18分よ」

 分かった。おやすみ。

「おやすみ」

 現在2019年2月19日21時20分である。おしまい。