現在2019年9月4日18時29分である。
麻友「急に変な題で、書き始めて」
私「今日は、通院だということは、ツイートで、伝えてあったね」
麻友「そうだったわね。確かに入院はしなかったようだけど」
私「このブログの約束だから、最初に結論を書くね。
『麻友 62』のノート 3402ページ
2019.9.4 17:02:52「
超越数として微細構造定数を挙げたら、富岡さんに『無理数かどうかも分からないのに』と、笑われたなあと、考えていて、世界を変える。例えば微細構造定数を、話し合って決める。というようにして、宇宙の秩序を作れる。もう今の宇宙に、皆はあきてきているのではないだろうか?
」2019.9.4 17:16:56
これ、横浜からの帰りの京浜東北線の中で、気付いたアイディアなんだ」
麻友「ちょっと、結論って言いながら、何も結論になってないじゃない」
私「うん。説明する。今日、床屋さんへは、スマホに、モーツァルト交響曲第41番を入れていって、かけてもらいながら、色々な話をした」
そのとき、床屋さんが、
『ユリゲラーのスプーン曲げなんて、絶対ウソですよね』
と言った。
私「『絶対ウソというけど、ユリゲラーには、できたんじゃないかな?』と思った私は、『この世界には、起こる可能性のあるものは、全部書き上げられていると考えられるんです』という話をした。麻友さんにチラッチラッと話している、ファインマンの経路積分による量子化というのは、そういうものなのだ」
麻友「ユリゲラーが、念力を持ってたというの?」
私「このことは、こういう風に考えるといいんだ。私が京都大学で、3回生のとき、社会学の授業を取ったことを、相対論のブログで書いたけど、そのとき先生に勧められて、1冊半分くらいまで、読んだ本があったんだ。
- 作者: 作田啓一
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 1993/04
- メディア: 単行本
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この本だ」
私「これに、
『人は、それぞれオーラを纏って生きているから、自分がこの人の影響を受けたいと思っている人がいるのなら、その人のそばへ行った方が良い』
というようなことが、書いてあるんだ。それで、当時の私は、
『オーラなんて、非科学的なものを!』
と、カンカンに怒って、次の授業の時、先生に、
『これは、おかしい。これは、科学ではない』
と、つかみかからんばかりだった」
麻友「太郎さんの3回生って、どんどん悪くなって行った頃よね」
私「前半は、まあまあだったんだ。それで、人はこのオーラを纏っているという説明を使うと、ユリゲラーの念力のような非科学的なようなもののいくつかが、科学的に解明できるということなんだ」
麻友「見えました! やっと遠くに、目指すべき光の源が」
私「おお、特待生」
麻友「太郎さん、さっきの微細構造定数というのも、小林りんさんに説明してた、万有引力定数みたいに、定数のはずのものなんでしょう」
私「そうだよ。定数なんだ」
麻友「だけど、太郎さんは、その微細構造定数を、人間がかな? 太郎さんに言わせると、オーラを纏っているみんなで、相談して、『これからしばらく、こうしましょう』となると、その数に賛成した人達は、その定数の反映したオーラを纏うようになる。この世界は、そうできているんじゃないかと、言うんでしょう」
私「ここで、ちょっと、麻友さんが、『量子力学の冒険』を読み始めていたら、面白かったんだけどな」
麻友「えっ、えっ、どう、面白いの?」
私「量子力学の重要な主張、『あらゆるものは、粒でありながら、波の性質も持っている』というその波こそ、オーラの揺らめきなんだってこと。どんな粒子も、厳密に一点に居る場所が決まらず、居る場所は、ぼやけた写真みたいになるというのは、オーラのためなんだよ」
麻友「それで、まだ、オーラがあるとどういうことになるか、説明してもらってない」
私「オーラというのは、人それぞれ違っているけど、裾が広がっているから、他の人と混じり合う。簡単に言っちゃうと、ユリゲラーは、スプーンを曲げられるというオーラを着てたんだ。他の人も、ユリゲラーのそばでは、スプーン曲げができた。でも、ユリゲラーが居なくなっちゃたら、スプーンは、曲がらない。ただそれだけのことだよ」
麻友「そんなに物理法則が、ころころ変わるものなの?」
私「これからちょっと、量子力学を真面目に研究してみようと思う」
麻友「頑張ってね。じゃあ、おやすみ」
私「おやすみ」
現在2019年9月4日22時59分である。おしまい。