現在2021年12月8日14時41分である。(この投稿は、ほぼ6817文字)
麻友「太郎さん。ポート行ってないのねえ」
私「もの凄い風雨だから、行かない方が良いと、母が止めたんだ」
麻友「お母様が言うと、絶対なの?」
私「私は、それでも行くと言ったんだけど、スマホが、『京浜急行が、遅れています』と言ってきたから、やむなく中止にしたんだ」
麻友「それで、何をしているの?」
私「マックにも行かれないから、先日録画した、映画『誰が為に鐘は鳴る』を、観始めたんだ」
麻友「あっ、『鼻がぶつからならないかしら』って、イングリット・バーグマンが言うのね。ちょっと、カチャカチャ、『鼻が』。あっ、大公トリオのデートじゃない。あの後は、凄かったわね」
私「子供の前でって、斬新だったよなあ」
麻友「こういう風に、外堀から、埋めていくのは、相当、話したいことが、あるときよね」
私「まず、忘れないうちに、言っておくけど、昨日の投稿は、最後の方に2カ所ほど、勘違いがあった。薬を飲んで、眠くなると、頭の働きも悪くなる」
麻友「もう、治ってるのね。どういう勘違いだったの?」
私「麻友さんが、『後から開発したものの方が、力が弱くて、病気に効かないなんてことになったら、誰も新しい薬、使いたがらなくなるわ』と言っているのに、答えようとしながら、頭が働かなくなり、それに、きちんと答えられなかった」
麻友「それは、そう思った。どういうことだったの?」
私「それはね。数学は、問題があるとき、非常に強力な、 で、つまり古典論理で、証明を試みる。証明できなかったら大問題。ところで、証明できた場合、次は、もっと武器が少なくても証明できただろうか? と、調べ始める。それを、組織的にやっているのが、今の数学基礎論や、ロジックで、 より武器を減らして、それでも証明できるのは、どんなことかな? どこまで減らしても、当たり前そうなことは、皆ちゃんと証明できるのかな? って、実験してるんだよ」
麻友「実験? つまり、例えば、この間のクルトガの話にしても、太郎さんは、プリン君のクルトガだったから、702円だった。でも、無地のクルトガだったら、450円くらいで、買える。いや、太郎さんは、クルトガアドバンスでも、605円で、買ってきてた。つまり、お金をかければ、買える。武器が沢山あったら、ほとんどの定理を勝ち取れる。つまり証明できる。だけど、お金をかけずに、良いものを買いたい。太郎さんの場合だったら、私に拘って、プリン君のクルトガにせず、450円くらいの無地のクルトガにするほうが、お金の倹約になる。むしろ、605円のクルトガアドバンスだったら、性能も良い。これは、つまり、武器を少しでも減らして、それでも、数学の問題を、解けるかという挑戦なのね」
私「そう。その良い例が、直観主義論理の なんだよ。排中律 すら、使えないんだよ」
麻友「排中律って?」
私「『あること、 が正しいことを、確認する方法を持っている』か、あるいは、『 が正しいことが、確認されるようなことになったら、それから、あらゆることを確認できる、つまり矛盾が蔓延るようなことになっていることを、確認できる方法を持っている』のどちらかだ、という論法だ。これすら、 では、使わせてもらえない」
麻友「えっ、それは、使えなくても、良いんじゃないかしら?」
私「それを使えないというのに、拘ったんだよ。直観主義的集合論を作った、ブラウワーは。普通、排中律 は、『 が成り立つか、 が、つまり の否定が、成り立つ』で、使えて当然と、スルーするんだけどね」
麻友「ちょっとその、『直観主義的集合論』って、出だしだけでも、見せてくれない?」
私「ちょっと、薄かったかな?」
麻友「すっごい書き込み。あの、矢印の問題、ⅵページの下から7行目ね。確かに、『 はこの事がらが正しいという主張にだけ用いられ』という記述がある。太郎さんが、悩んで、結果を私の誕生日プレゼントに、献呈してくれたの、分かった」
私「さて、ちょっと、妹のことを、話してみる。目的は、私の話を聞いて、麻友さんが、
麻友「私でなく、その妹さんに、数学や物理学の話を、分からせようとしてみない?」
私「妹じゃ無理だよ。本当に、数学とか理科とか、全然駄目なんだもの」
麻友「今聞いていて、私、その妹さんと同じか、それ以下くらいしか、数学も理科も、分かってない。これ、冗談でなくよ」
私「えー、でも、妹以下って言ったら、何も分かってないことに、なるけど。じゃあ、麻友さん、今まで、6年半、何も分かってなかったって言うの?」
麻友「太郎さんが、愛を込めて書いてくれているのは、分かっていたけど、数学や、物理学は、本当に、難し過ぎて、分からなかった」
と言って、私が、ショックを受け、自分が、周囲の理解を得られていなかったことを、反省するという目的に達し、その後の展望を模索するという話だ」
麻友「妹さんを、侮辱することに、ならない?」
私「じゃあ、弁護から始めようか」
麻友「弁護?」
私「去年の暮れだな。2020年の11月10日に、
この本、買った後だからな」
麻友「相対論のブログで、カチャカチャ、『源氏の』ポンッ」
私「あるか?」
麻友「2つヒット。でも、『数学を悟ってみて(その2)』は、私と会った後だけど、『源氏の男はみんなサイテー』は、2012年11月28日で、9年以上前ね」
私「あれっ、『数学を悟って・・・』の方、去年も、直観主義的集合論やってるな」
麻友「私も、読んでる。これ見ていると、太郎さんの理解が進んでいるところと、前回丁寧に説明していたのに、今回省略してあるところがある」
私「ああ、これ、面白かったな」
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私「簡単なところから行って、 は、 を確認する方法と、 を確認する方法と、両方を持っている。となるね」
結弦「そうすると、 は、 を確認する方法と、 を確認する方法と、の少なくとも一方を持っている。となるのかな?」
私「そうだ」
麻友「なんだか、言葉の遊びのようだけど」
私「いや、これが、奥が深いんだ。例えば、 を、ピタゴラスの定理、つまり三平方の定理とし、 を、自然数の各桁の数字の和が、 で割れれば、その数は、 の倍数であるという定理としよう」
麻友「ちょっと。その『自然数の各桁の数字の和が、 で割れれば、その数は、 の倍数であるという定理』なんて、どうやって証明するか、忘れちゃったわよ」
私「おお、良いカモが、来たね。そうすると、麻友さんは、この『自然数の各桁の数字の和が、 で割れれば、その数は、 の倍数であるという定理』を、確認するすべを、持たないんだね」
麻友「失礼な。でも、忘れちゃったのよ」
私「そうだとするとね。まず、以前やったから、ピタゴラスの定理は、一応確認できてるということで、 は、確認できてる。ところが一方、 は、確認できていない。ということになる」
結弦「そうすると、『 は、 を確認する方法と、 を確認する方法と、両方を持っている』だったから、お母さんにとって、 を確認する方法は、ないということになるんだ」
若菜「『 は、 を確認する方法と、 を確認する方法との、少なくとも一方を持っている』だったから、 を確認する方法は、持っているわけですけど」
麻友「ちょっと、人をだしにして。あなたたちは、『 の倍数であるという定理』証明できるの?」
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(数学を悟ってみて(その2) - 相対性理論を学びたい人のためにより)
麻友「こうやって、振り返ると、前、分からなかったところも、分かったりするわね」
私「ちょっと、今回は、3の倍数の話は、置いておいて、源氏の話を、したい」
麻友「太郎さん、太郎さんのアカウントが、乗っ取られているみたいよ」
私「どうして?」
麻友「『源氏の男はみんなサイテー』のレビューとして、
EROICA
5つ星のうち1.0
この評価は、あくまでもKindle版に対するものです。
2020年3月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は、以前、この本の文庫版を持っていました。途中のイラストや、最後の米原万里さんの解説は、本当に楽しかった。あるとき、その本は、文学部出身のある人に、差し上げてしまいました。でも、読み返したいところもある。古本が1円からあるのですから、紙の本を買えば良かった。でも、これからの時代は、電子書籍だと思い、935円で、Kindle版を買いました。奥付の辺りを見てビックリ。『電子化にあたり、解説と図版の一部を割愛した』。何のためにこちらは、文庫を買っているのか。ちくま文庫ともあろう文庫が、そんなことに無理解を示すなんて、信じられません。この本のKindle版は、絶対買っては駄目です。今からでも、改善して欲しいと、思います。
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と、書いてある。EROICAって、太郎さんのアカウントよね。チャチ君とルパン君の写真も付いてる。太郎さんのアカウントから、書かれたとしか思えない」
私「私が、書いたんだ。乗っ取られては、いない」
麻友「えっ、じゃあ、太郎さん。Kindle版も、持ってるってこと?」
私「スマホに入ってる」
麻友「太郎さん。前に、クロイツェルソナタの女の人と、『源氏物語』、読みたかったとか、『源氏物語』に、興味あるの?」
私「そこなんじゃん。妹が、去年の暮れに実家に来たとき、この『源氏の男は・・・』は、買ってあったけど、もう1冊、大塚ひかり訳の『源氏物語〈1〉』(ちくま文庫)を、鶴見図書館で、借りて持って行ったんだ」
麻友「ちょっと聞きたいんだけど、太郎さんは、『源氏物語』読んだことあるの?」
私「桐壺だけ、ちゃんと読んである」
麻友「えっ、ちゃんとって?」
私「原文を、訳と対照させながら、桐壺だけは、読み切った。そして、帚木の読み方を取り敢えず知って、『今は、日本の古典、味わっている場合ではない。数学、再建しよう』と、数学に戻ったんだ」
麻友「帚木(ははきぎ)の読み方って?」
私「私は、源氏物語の第2巻の名前なんて、知らなかったんだよ。だから、一応、桐壺を読みましたというのに、恥ずかしくないように、帚木の巻名の読み方(つまり、『ははきぎ』)を、覚えたんだ」
麻友「いつ頃?」
私「栄信工業へ、通っていたときだから、1999年頃なんじゃないかな?」
麻友「いつもの刻印は?」
私「父母に、本買っちゃいけないと、言われていた頃で、売らなければならなくなったときのために、
これだけど、書き込みしなかった」
麻友「えっ、でもこれ、20年以上経っているのに、アマゾンに在庫ある」
私「私の見立てに、狂いはなかった」
麻友「どうして、これを、選んだの?」
私「まず、高校の参考書だと、全文は採用してない。これでは、困る。それから、訳本だと、原文が載ってない。逆に、原文だけだと、古語辞典使えない私には、読めない。両方、省略無く載っていて、ハードカバーみたいに凄くないのは、ジュンク堂書店でも、リブロでも、八重洲ブックセンターでも、これだけだったんだ」
麻友「でも、これ、16冊とかあるから、時間と共に、絶版になっていくかも」
私「そのときのために、毎月1冊ずつ、1年くらいかけて、16冊全部買った。栄信工業の社長が、毎月2000円だけ、書籍費を援助してくれていたので、この本のレシートを提出していた。社長は、理工書を買って、仕事のための勉強しているだろうか、と思っていたが、数学や物理学の本は、平気で5000円とかする。そういう大切な本は、自分で買っていた」
麻友「カチャカチャ、『阿部秋生』。エッ、あべ あきお って、言ったわね。もの凄い国文学の権威で、奥さんも、文学博士。でも、1999年5月24日に亡くなっている。最後の仕事だったのかも」
私「そうだったのか。道理で、絶版にならないわけだな。『ファインマン物理学』みたいなものだな」
麻友「それで、妹さんは、あの大塚ひかりさんの本を見て、なんて言ったの」
私「こう、やり取りした。
私「これ、知ってる?」
妹「これは、知らない」
私「どうだろうねえ」
妹「やっぱり源氏の原文を読まないと」
そして、ページをめくって、
妹「六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は、・・・」
私「死んでからも、何度も出て来る」
妹「それくらいは、タロちゃんでも、知ってるか」
私「まっ、一応」
といった感じ」
麻友「どうして、『タロちゃんでも』なの? 馬鹿にして」
私「妹は、私が、『源氏物語』なんか、ほとんど読んだことないから、本当は、六条御息所の話なんか、読んでないの知ってるからだよ」
麻友「太郎さんは、どうして、何度も出て来る、なんて、知ってるの?」
私「受験勉強の、現代文の問題に出て来る、源氏物語の批評文や、古典について書かれた評論などで、死んだ後も、亡霊として出てくるということを、知ってたんだ」
麻友「ああ、太郎さんの馬鹿にする、受験数学ならぬ、受験国語か」
私「ちょっと、話が長くなりすぎた。21時36分に、なっちゃってる。京野さんとの約束通り、21時に寝る前の薬飲んだから、眠くなってきた。妹とのやり取りは、小さい頃の超音速ジェット機の話、太陽の白い光が当たって、なぜ色んな色が見えるのかという話、夕陽に追いつけるかという話、などあるから、今晩中に書けない。無理に書くと、昨日のように間違ったことを、書いてしまう。言いたいことは、麻友さんは、このくらいから説明しなければ、ならない。妹に、分かる説明を、心掛けなければならないと、気付いたということ。前も似たようなことを、書いたけど、それが、現実だと身にしみて感じたと、それを、言いたかったんだ」
麻友「結局、私を、解放してくれないのね」
私「麻友さんじゃなきゃ、駄目なんだよ。もう、おやすみ」
麻友「でも、太郎さん、夕食、湯布院のプリンと、パウンドケーキだけ?」
私「家から出なかったから、他には、ご飯炊いて、お醤油かけて食べるしか、選択肢がなかったんだ」
麻友「どうして、そんなプリンを?」
私「実家のお隣の奥様が、一人暮らしの太郎さんにと、ときどき美味しいものを、下さるんだ」
麻友「明日、その話も、聞かせてね。おやすみ」
私「おやすみ」
現在2021年12月8日22時03分である。おやすみ。