現在2022年7月15日16時22分である。(この投稿は、ほぼ7933文字)
麻友「7月11日から、少しブランクあったわね」
私「戦友の富岡さんと、『熱力学』のゼミを始めた。1週間あったけど、27ページも予習するのは、結構大変だった」
若菜「第1回目は、なんとかなったのですか?」
私「私は、本文読むだけで、限界だった。問題を解く余裕は、なかった」
結弦「富岡さんは、問題も解いてきたの?」
私「うん。向こうは、私以外とも、ゼミやってるようで、勉強のペースが、速いんだ。いつも、私が、遅れて遅れて、ゼミが駄目になるということばかり」
結弦「お父さん、ポートでまで勉強しているのに、どうして、追い付けないの?」
私「他にも、本を読んでるからね」
若菜「どんな本ですか?」
私「『熱力学』以外に、この9冊」
麻友「『数Ⅲ方式ガロア理論』言ったとおり、絶版になった?」
私「残念だね」
若菜「これも、
読んでなかったですか?」
私「丁度半分の、第15講までで、話がガラッと変わったので、『熱力学』と、バトンタッチしたんだ」
結弦「それにしても、10冊は、多過ぎ」
私「私の場合、富岡さん以外だと、数学や物理学の話のできる人はいないから、どうしても、本に刺激を求めるんだ。それで、あの本読みたい、この本読みたいと、なる」
麻友「フランス語の本もあるけど。ブルバキのため?」
私「そう。ちょっとずつ、ブルバキの原書を、集めているんだ。半年くらいフランス語勉強したら、取り組みたいと、思っている」
麻友「語学なんて、半年で、身に付くの?」
私「トライして、駄目だったら、また考える」
麻友「ブルバキ、どれくらい、集めたの?」
私「前から、集合論は、持ってた。それに加えて、代数と、位相の前半を、集めた」
若菜「どのくらいのレヴェルまで、行かれるのですか?」
私「ただの代数の場合、大学3回生が勉強しているレヴェルに、ギリギリ肩を並べるくらい」
若菜「4回生レヴェルというのは?」
私「もっと後に、可換代数というのがある」
若菜「上には上があるのですね」
私「ただ、これは、平均的な学生の場合で、あの代数幾何学に進んだ、川口周君などは、3回生のときに、『もの凄く可換代数の知識が必要と分かって、大変なんです』と言っていて、4回生になるとき、飛び級で大学院へ、行った」
結弦「ああ、そうだったな。お父さんの、大学時代の友達で、成功した人もいれば、挫折した人もいるね」
私「これ、絶好の機会だな」
結弦「えっ、何が?」
私「『なぜ働かなければならないの?』という問いかけを、考える機会として」
若菜「確かにそうだと思います。川口周さんは、数学者になって、成功されました。本も、
と、3冊も出版されています」
私「他に、ちらっと話した、伊山修君も、数学者として、成功している。それから、物理へ進んだ、橋本幸士君も、成功している。こういう本を、半分おふざけで、書いてる。
私の周囲にいた数学徒、物理学徒で、本来目指していた道に進んで、成功したのは、この3人くらいかな? やっぱり狭き門だね。研究者というのは」
麻友「望月拓郎さんも、成功しているわね」
私「ひと言、言葉を交わしただけじゃ、友達には含まれないよ」
若菜「物理で、成功しなくても、社会で成功しているひとは、いらっしゃいましたね」
私「ちゃんと、知っているのは、公認会計士になった藤居正敏君と、コンサルタントになった、藤田有哉君のふたり。他に、あの人は、映画を作ったらしいよ、とか、そういう、風の便りを聞いたことはあるが、実際に会った人は、いない。大学入学前のフェラーリの親友や、真船君という30年ぶりぐらいで会った人も、一応なんとかなってた」
結弦「つまり、思ってた道に進めても、駄目でも、何か、仕事に就いてるんだよね」
私「仕事に就いていない。求職中でもない。というのは、私ぐらいのものだ。だけど、今までの社会では、それが、当然だったんだろうね」
若菜「お父さんも、一応、働いていた時期が、ありましたが」
私「分かっている。でも、今回の、長期間にわたる、健康な時期が訪れて初めて、働いていたから、病気が悪くなっていたんだなと、納得したんだ」
若菜「働いていると、どうまずいのですか?」
私「昼間に、8時間とか、働くだろう」
結弦「当然じゃない?」
私「そうすると、家に帰って、夕食後に、勉強することになる。寝ちゃったら、明日になって、仕事が待っているから、睡眠薬を0時過ぎまで飲まなかったりする。お医者さんは、定刻(例えば22時)に飲んで下さいと言うが、何が一番大事かと言ったら、数学の勉強だ。結局その薬の服薬の遅れが、朝の眠さにも繋がり、病気が良くならなかった」
若菜「普通の人の場合、何が一番大事かと言ったら、仕事とか、家族とか、子供とかなるので、嫌でも睡眠薬飲むわけですね」
私「それと、もうひとつ、気付いたんだ。この精神の病気は、ストレスに弱いと言われ続けてきた。ストレスという言葉の意味を、ちゃんと知ったことも、投稿で書いたことがあったが、私は、仕事で困ったことがあったり、仕事でなくとも、心配なことがあったり、といういわゆるストレスがあったとき、普通の人は、お酒を飲むとか、タバコを吸うとか、そういうストレス発散の方法を、身に付けていくのだと知ったんだ」
結弦「二十歳以下だから、僕は、お酒もタバコも、駄目だから、分からないけど、そういうものなの?」
私「うーん。本当のところは、分からないんだけど、例えば、失恋して、心の持って行き場がないようなのを、お酒で、紛らわす、というようなことは、大人の場合は、あるみたい」
麻友「みたいって、大失恋を2回もしている太郎さんは、どうだったの?」
私「1回目は、お酒飲んでないし、2回目も、周囲が、飲み会に誘ってくれて、行ったけど、失恋を癒やすために行ったのではなく、石田さんに会うために行ったのだったから、飲んで癒やそうなどと、考えなかった」
麻友「太郎さん。私のお父さんの前でも、言ってたけど、お酒を酔うために飲むってことが、ないみたいね」
私「そう。マッカラン25年を、飲んで以来、お酒は、美味しさを楽しむものと、思っている」
麻友「冷蔵庫のマッカラン12年は?」
私「麻友さんに会ってから、1回だけ、飲んだよね。相対論のブログの2021年4月1日の『実験成功』の投稿の後」
若菜「実験の成功に酔ってましたけど、本当にマッカラン12年も、飲んだんですね。味は、どうでした?」
私「12年は、ただのウイスキーだよ。だけど、マッカラン25年を買うには、お金が必要だな」
若菜「そういうものなのです。欲しいものがあるから、お金を稼ごう。みんなそう思っているのですよ」
私「いや、お金というものの、良い部分だけ見ているからそうなる。私の人生で、つい今まで、解けない謎があった」
麻友「今まで?」
私「その人のことを、話そうと思って、はっと気付いたんだ」
若菜「なんていう人ですか?」
私「松山太白(まつやま たいはく)君というひとなんだ。小学校から同じで、中学でも友達だった」
結弦「初めて出てくる人だね」
私「多分、話すのは、初めてだと思う。小学校の頃から、いじめられっ子だったが、だからと言って、不登校になったりは、しなかった。中学に行くようになって、片道1.5キロを(私は、東寺尾東台なので1.5キロだが、彼は岸谷なので2キロなのだが)一緒に歩いて行くことも多かった。そして、1年生の2学期の終わり頃、科学部に入りたいと、言いだした。パソコン班に入りたいと言う。まだ、カセットテープに、プログラムを保存していた時代で、松山君も、パソコンなんて、持ってなかった。でも、本当に、パソコン触りたかったんだね、2学期の終わり頃、半分、無理矢理、科学部に入部届出して、入部したんだよ」
麻友「あれっ、太郎さんは、科学部の天文班では、なかったの?」
私「私は、1年のときは、帰宅部だったんだ。ハレー彗星のブームで、2年生になるとき、科学部に正式に入部した」
若菜「その科学部の天文班で、プラネタリウムをやったとか、聞きましたが」
私「あの科学部では、色んなことを、知った。例えば、月の欠け際の形って、円の一部だと思うだろう。実は、円の一部でなく、楕円なんだよ」
麻友「えっ、何で読んだの?」
私「読んだんじゃ、ないんだ。欠け際が、円の一部だと思って、計算で、グラフの式を求めようと思ったんだ。そうやって計算しているうちに、月の向こう側が、暗いから、欠けているんだよね。と、気付き、月の半分の円が、グルーッと、廻って行ってるんだと、気付いたんだ。円を斜めから見たら、それは、楕円だ。と、そのとき分かったんだ」
結弦「松山君、パソコン班、楽しかったのかなあ」
私「このときの松山君の様子を見ていて、私は、本当に何かに入部したいとかいう場合は、無理してでも、入部すべきなんだなと、学んだ」
結弦「お母さんみたいだな。AKB48のオーディションのときみたい」
若菜「どういうところで、そう学んだんですか?」
私「科学部でも、部活だから、部長がいる。私達が2年の2学期になったとき、私の親友のひとり、清水君が、部長に選ばれた。横浜翠嵐を去るとき、クーベリックのモーツァルトのCDを餞別にくれた、あの人だ。ところが、あの人、横浜翠嵐に受かるくらい優秀なんだけど、ちょっとメンタルに弱いところがあった。それで、科学部の部長、途中で降りてしまったんだ。そうなったとき、誰を部長にしたらいいかとなって、やっぱり1年生のときからいる松山君に任せようということになったんだ。清水君も(本当は私も、清水君が辞めるなら私もと)退部届を出したのだが、松山君が、ふたりとも引き留めて、卒業まで、科学部にいさせてくれた」
麻友「そんな、中学の小さな部活でも、ちゃんと社会みたいな、色々な役割が、あるのね」
私「結弦は、高校1年で、2つ部活に入っているんだっけ? 色々と、社会に出てからのことを、学ぶ機会が、あると思うよ」
結弦「帰宅部にしなくて良かった」
私「さて、その松山君なんだが、本当に、勉強が、できないの」
麻友「そりゃ、太郎さんの眼から見たら、誰だって、出来損ないよ」
私「そういうレヴェルじゃないんだ。いじめっ子達が、『松山、お前なんで、そんなに勉強しているのに、そんなにできないんだよ』と、真面目に言うくらい、できないんだ。私からしたら、授業も聞いているし、試験でカンニングなんて、しているはずないし、どうして、そんなに勉強できないのか、分からなかった」
結弦「パソコンゲームに、のめりこんで、いたとか?」
私「ああ、それは、ちょっとあったかも知れない。松山君は、家にパソコンがないから、お金持ちの子供で、パソコンを持っている子の家に、入り浸っていた様子は、あった」
若菜「どうして、分かるの?」
私「天文班にいるけど、パソコンを、持っているという子もいたのね。それで、私と松山君で、その子の家へ、パソコンを見せてもらいに行ったことがあるんだ。名前を知っているゲームでは、『X指定』が、最初なんだけど、この子の家に行ったとき、アダルトゲームを、見せてもらった。好きな彼女をデートに誘って美味しいものをご馳走して点数を稼いで、家に行って服を脱がせて・・・というゲームなのだが、あれを見たときから、最後の一線を越えると結婚しなければならない、というような設定を、『こんなことあるわけないじゃん』と、私は、違和感を感じた。50歳まで生きてきた今でも、あんなゲームの結婚観では、幸せになれるはずないと、私は思う」
麻友「太郎さん。中学2年なら、13歳か14歳でしょ。そんな、アダルトゲーム、やって良かったのかしら?」
私「良いとか悪いとか言う以前に、必然的に経験しちゃったんだよ」
麻友「そっか、友達が、持ち込んだか」
私「以前、父方の叔母さんに、性の情報をどう届けるか、と言う話をしたとき、叔母さんは、『それは、友達と付き合っているうちに、自然に身に付くと思う』と、言ったが、私は、断固として、小学校、中学校にいるとき、きちんと教えるべきだと主張した」
若菜「これですね、
あっ、でも、絶版になっている。今売れているのは、
みたいです」
私「うーん。こういう本も、エイズや性病の情報が古くなるし、社会の性に対する考え方が変わるから、これ1冊で、大丈夫とは、言えないんだよな」
若菜「童貞のお父さんが、アフターピル飲めばいいって言ったの、日本の社会を震撼させたようでしたよ」
私「麻友さんを通して、社会に繋がっているか」
麻友「それで、どうして松山君が、友達の家に入り浸っているって?」
私「そのアダルトゲーム、松山君、前にもやったことあったみたいなんだ」
若菜「パソコン持ってなくても、友達の家で、やってたか」
結弦「それで、お父さんが、今回、はっと気付いた、というのは?」
私「私の家が、裕福だったということなんだよ。つまり、昔も書いたけど、中学2年のときかな?中学1年の3学期からかな? 代々木ゼミナールに通わせてもらってたんだよね」
麻友「それが、勉強ができた理由だと?」
私「もちろん、私の数学の才能が、普通でなかったのは、置いておいて、当時は、神奈川県には、アチーブメントテストというのがあった。全教科の試験があった」
麻友「覚えてる。体操が苦手だったから、数学で1点落としたって、悔しがってた」
私「このとき、私の伸びは、かなりのものだったんだよ。結弦にイヤミを言う気はないんだが、当時、湘南高校は、横浜翠嵐高校より、遥かに上で、全国の県立高校で、浦和高校、千葉高校、に次いで、3番目だった」
麻友「浦和高校、やった!」
結弦「湘南高校、やった!」
私「それは、言っていいんだけど、代々木ゼミナールで、初め横浜校に行ってたのに、わざわざ選ばれて、大船校のトップレベルのクラスに、通うことになった。松本君、真船君、大森君、と私で、親がいくら出してくれているかも知らず、授業を楽しんだ」
麻友「レヴェルの高い授業って、どういうことを、教えてくれるの?」
私「心の機微に触れるようなことを、教えてくれるんだ。例えば、現代文弱いから、どの文章か言えないんだけど、戦争に行く男の人が、女の人の家に、挨拶に来る。女の人が、ざくろだったか、木イチゴだったか、果物を、差し出すんだよね。男の人が、ひとかじりするんだけど、慌てていたので、ざくろだったか、木イチゴだったかを、落としちゃうんだよ。『それでは、さようなら』と、男の人が、去って行くんだけど、見ていたお母さんが、そのざくろか何かを、洗ってきて、娘に渡すんだよ」
若菜「それを、食べるか、食べないか? という問題ですか?」
私「そういうことじゃない。先生が、そこで、立ち止まって、
先生「キザな言葉で言うと、『間接キス』ですね」
と言う。中学の真面目な生徒の場合、『間接キス』という概念すらないから、そこのテキストで、何を一番伝えたかったか、初めて知ることとなる」
麻友「太郎さんが、ヤクルト400や、ヤクルトの発酵豆乳や、ワンダモーニングショットを、飲みながら、その中学のときの代々木ゼミナールの先生の言葉通り、間接キスしてくれていた、というのは、今聞くまで、知らなかったわ」
私「いつか、麻友さんにこの話は、するつもりだった」
結弦「そういう話でも、レヴェルの低い子が混じっていると、口笛ならしたりして、台無しになっちゃうんだよね」
若菜「その雰囲気を作るのは、難しいですねえ。昔、お父さんが、大学で、女性学の英語の授業で、先生が真面目に、豊胸手術の話をしてくれたということも、ありましたね」
麻友「それで、代々木ゼミナールでも、模試とかあったの?」
私「アチーブメントテスト直前に、私も第一志望校湘南、第2志望校横浜翠嵐、と書いて、受けた。県で10番で、もちろん湘南高校も、A判定だった。そのとき10番で、試験のしおりみたいなのに、名前が載ったから、一気に有名になってしまった」
若菜「神奈川県で、10番ですか。人生で、最高ですか?」
私「公立一本で行く場合、それで、笑ってちゃだめだ。京都大学に1年目落ちて、浪人中、もちろん京都大学理学部は、A判定だけど、1回だけ、理系の(国、数、英、物理、化学、地理)の6科目の合計で、全国で10番、広島県で1番になったことは、ある」
結弦「それで、広島県で1番になれるなら、浪人なんて、するなって言いたいよな」
麻友「太郎さんが、いつだったか、私が、『1度だけ1位になって、もう1回、1位になりたかったな』みたいに、言ったら、それは、良い思い出になるよと、言ってくれた。さっしーに負けたのは悔しいけど、1回だけだったというのは、貴重な経験ね。最近、さっしーが、なんか、パートナーのこと、言ってたけど」
私「指原莉乃さんが、『パートナーに、自分の仕事に、口を出して欲しくない。出されたら、壁殴る』とかって、言ったんでしょ。あの指原さんって、思いを伝えたいことがあるとき、他の人を通して、伝えてもらうことがあるから、パートナーが、仕事に口を出しているのかも、知れないね」
麻友「あっ、21時59分よ。ちゃんと、薬を飲むようになったから、病気が良くなったのよ。ちゃんと、飲んで寝なきゃ。続きは、明日でも、書ける」
私「この続きは、また次回書きます。松山君は、なぜ登場したのか、次回分かります」
若菜・結弦「おやすみなさーい」
麻友「おやすみ」
私「おやすみ」
現在2022年7月16日22時03分である。おしまい。