女の人のところへ来たドラえもん

21歳の女の人と43歳の男の人が意気投合し、社会の矛盾に科学的に挑戦していく過程です。                    ブログの先頭に戻るには、表題のロゴをクリックして下さい。                                   数式の変形。必ずひと言、添えてよ。それを守ってくれたら、今後も数学に付き合ってあげる。

最後の対決

 現在2022年10月17日19時55分である。(この投稿は、ほぼ11471文字)


 この「中期中絶」の現場記事、長い記事だなあと、へとへとになりながら読んだけど、ブログに取り込んで、字数計算したら、4377文字だった。私が、ときどき書く、5000文字くらいの記事。実は、読むのもの凄く大変だった。? ゴメン。

 申し訳ないから、今回その看護婦さんの現場の手記は、投稿の後ろに回すよ。時間を置いてから、読むのでいい。


 さて、10月23日まで、投稿することはしない。ゆっくり考えてね。と、ドラえもんのブログの『麻友さんの選択 - 女の人のところへ来たドラえもん』という投稿で、書いたから、逆に、この記事を推敲する時間が、出来たよ。

 きっかけは、10月17日に、偶然ポートで、誰かがかけた、ユーチューブの音楽だった。私の好きな、『さよならの夏~コクリコ坂から~』という歌だったのだけど、そのときかかっていたのは、インスツルメンタルので、他の人が編曲したものだった。もちろん、この歌は、1976年に森山良子が歌ったのが、オリジナルらしいから、私は勝手に、宮崎吾朗の、アニメ映画『コクリコ坂から』を、思い浮かべていたのだった。今回は、麻友さんの名曲中の名曲『サヨナラの橋』ではなくて、ゴメンネ♡。

 さて、アニメ映画『コクリコ坂から』は、相思相愛になった、海(うみ)と俊(しゅん)という高校生が、父親が同じだったということを知り、悩む。という映画なのだが、私は、スタッフの塩田さんに、

私「この映画で、なぜ二人は、悩んでいたんですかね。好きだったんなら、なぜ一緒になれないんでしょう」

と、この映画の意味を、問いかけた。

 これに対し、塩田さんは、きちんと、

塩田「法律上、兄弟は、結婚できないというのは、ご存じですよね」

私「はい。三親等以内は、結婚できないのですよね。従兄弟が、四親等ですから、それ以上遠くなければ、ならないのですよね」

塩田「それが、分かってても、謎は残るんですか?」

私「今では、事実婚とか、LGBT とか、許されるのですから、それでも、駄目なんですか?」

塩田「三親等以内は、駄目というのにも、根拠があって、平安時代の貴族社会とか、ヨーロッパのハプスブルク家とか、近親婚のために、奇形児が、現れたりして、本当は、従兄弟でも、やめておいた方が良いと、言われているんです」

私「それは、子供を、作るからですよね。作らなければ、良いじゃないですか」

塩田「そういうことではなく、周りから、祝福されて、あの二人は、結婚したかったのでしょう。兄弟で、結婚するって、言ったら、絶対に、猛反発を受けます。それは、分かりませんか?」


 一応、ここまで、答えてくれた段階で、塩田さんは、十分役目を果たしたと、言えるはずだった。

 だが、私が、相手だったために、塩田さんは、さらに答えなければならなくなった。


私「でも、私だったら、子供を産まなければ良いのだし、子供ができたのなら、中絶という道もある」

塩田「堕ろすのが良いかどうかまで、問題にするんですか?」


 ここで、メンバーの人のお母様が、お迎えにいらっしゃり、塩田さんは、応対に忙しかった。


 戻って来て、塩田さんは、

塩田「どこまで、でしたっけ?」

私「堕ろすのが、良いかどうか、という話でした。そもそも、なぜ堕胎しちゃいけないのですか?」

塩田「それは、・・・」

私「これは、1,2年前まで、知らなかったのですけど、私は、産まれる前だったら人間じゃないんだから、堕ろしたって良いだろうと思って来たんです。でも、4カ月とかなると、もう心臓も動いているそうですね」

塩田「そうなんです。生きてるんです。本当に」


 本来、ここまでで、塩田さんは、理解されるはずだった。だって、最初に言いかけた、産婦人科の看護婦さんの手記を、私は、読んであったのだから。その記事が、本来の効力を発揮するまでに、最後まで、塩田さんは、頑張った。

 そして、ポートを出て、家に帰って来て、何かが違うという科学者の信念で、調べ続け、自分が、間違っていたことを、知った後、『これを、知ってて、人工妊娠中絶をしているのか?』と、ビックリし、この投稿を、書き始めたのだった。


 あの看護婦さんの手記は、私達のブログでの初出は、2019年3月14日のモーツァルト交響曲第25番(その2)

27182818284590452.hatenablog.com


で、麻友さんに、妊娠22週くらいの赤ちゃんを堕胎させたとき、心臓も動いていることを、話している。


 それを、下敷きにして、2021年8月7日の駆け落ちのシミュレート(その28)

27182818284590452.hatenablog.com

が、ある。そこで、

男の人が、何億もの精子細胞を、平気で捨てているのと同じように、女の人も、産まれて困る胎児は、捨てて良いんだと、教育すべきなんだ。何が、生命の神秘だ。望まれずに産まれてきて、不幸な一生を送るその子の身になってみろというんだ。

と、発言している。


 そして、塩田さんとの2回の対決となる。

 以前、対決したのは、今年(2022年)の、5月31日(正確には、数学の勉強 - 女の人のところへ来たドラえもんのときだけど、必要な部分は、持ってくるので、読まなくて良い)のときで

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麻友「結婚に関してなんだけど、太郎さん、子供は、作れないと、思っている?」

私「先日、ポートの職員さんに、堕胎罪の話などをしたとき、


職員さん「無理に、子供を産むのは、産まれてくる子供に、可哀想って、言う人がいるんだけど、私は、そう思ってなくて」

私「でも、私は、統合失調症で、これは、100%遺伝しますから。まあ、将来、統合失調症も治せるようになるかも知れないですけど」

職員さん「そうでしょ」


と、言われて、私の遺伝子を残すことに、意味があるのかな? と思った」

麻友「太郎さんの、子供を、産みたいのよ。価値観、180度ひっくり返して」

私「いきなり、とんでもない話になったな。麻友さんの芸能界引退から、2年経って、初めて、麻友さんの本心に触れたのかも知れない。今日は、これで、終わりにしよう」

麻友「おやすみ」


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                    (『数学の勉強』より)


という勘違いの迷路に巻き込まれた。麻友さんが、私の子供を欲しいなどと思っていたというのは、いっときの思い込みである。


 さて、上で書いているように、私は、中絶容認派、塩田さんは中絶反対派、のように、このブログでは、なっている。実際の会話は、対決と言うより、私に、


塩田「胎児にも、生きる権利があると思うんです」

私「(そりゃー、妊娠5カ月(20週くらい)なら、心臓もあって、人間として、権利を認めても良いだろうけどなあ。でも、私が、中絶するって言うのは、妊娠2カ月くらい(60日くらい)の、イソギンチャクか、ミミズくらいの生き物なんだけどなあ)」


という行き違いがあったというのが、本当だった。

 ブログのお陰で、この後私が、中絶をするのに、女の人本人の意思だけでなく、ご主人の同意が必要という、現行の日本の法律を、改正しようという署名に、署名したと麻友さんに語っている部分が、残っている。2022年6月5日のドラえもんのブログの『スカートの中見られるの何でも無いのね』という投稿である。


mayuandtaro.hatenablog.com


 私が、イソギンチャクか、ミミズだと思っているから、


私「私は、小さい頃から、不義の子とか、庶子だとか、そういう子供は、片っ端から、中絶すべきと思ってきたの。先日も、女の人の中絶には、夫の許可が必要という現行の法律を変える署名に、署名したほどで、私は、望まない子供は産むな、間違ってできた子なんて、『もう一回、セックスやりなおせ』、と思ってきた。だって、『お前は、間違いで生まれてきたんだよ』なんて、言われたとき、その子供が、どんな思いがするか」


という発言になった。



 10月17日に、家に帰って来て、塩田さんの、『生きているんです。本当に』という言葉が、イソギンチャクか、ミミズを指すとは、思えない。科学者として、間違いを認めるのは、恥ずかしいことではない。この食い違いは、何なのだろうか、確かめようと、思った。


 実は、この後、私の妊娠5カ月の赤ちゃんという意味が、根底から間違っていたことが、分かってきて、最後の対決は、塩田さんに取っても、恐らく麻友さんに取っても、そして、私に取っても、満足いくものになるのである。そのために、昨日(2022年10月18日)(この記事を推敲しているので、17日より後の日付が出てくる)、ポートへ行く途中で、肝心の本を、合計4ページスキャンした。

まず、お腹の中の赤ちゃんを確認するため、

で、

胎齢10カ月なら、十分人間。

 さて、人体解剖図に、妊娠からの絵がないので、信頼できると思っている、

から、次の3つの図。特に、最初の絵に注目して欲しい。

 私は、22週では、心臓が出来ているとか、言っていた。要するに、5カ月くらいだと、思っていた。だから、この一番左の赤ちゃんを、本当は50日と書いてあるのに、5カ月と、読み間違っていたのだ。だから、これなら生きているから、十分中絶すべきでないと思っていたのだ。だが実は、これは、50日。2カ月の赤ちゃんなのだ。もう2カ月で、ここまで来ている。イソギンチャクでもミミズでもない、立派な人間。『胎児にも、生きる権利があると思うんです』という塩田さんの言葉は、十分納得できる。

 残りの2つの図は、

と、

で、上の絵で、受精から8週で、男女が識別できるとある。

 下の絵では、つわりは7週頃から、始まるとある。つわりがあって、妊娠に気付いて、中絶をしようとしても、もう赤ちゃんには、人格ができている。偉そうに法律だの倫理だのと言ってないで、アフターピルで、初日に妊娠を止めるしか、安全な方法はない。コンドームなんて、失敗が多いから、当てにならない。コンドームは、性感染症予防だけで、避妊には気休め程度だ。


 中絶容認派とは、言っても、私は、妊娠4週までしか、容認できない。また、私の子供が、例え出来ても、人工妊娠中絶なんて、パートナーに、つまり麻友さんに、要求しないだろう。そもそも、子供を作るかどうか、しっかりと、相談するだろう。

 当然のことながら、『W3M∞のシミュレート』のように、麻友さんが、ファンの人、ひとりひとりと、2日ずつ丸ごとデートして、セックスするというのは、つわりで気付くのが、7週目なのだから、中絶はできず、産むわけにもいかないのだから、できない。でも、ドラえもんが、できない、と言ってしまったら、この世界に夢は、なくなってしまう。夢はかなえてこそという私の場合、こう考える。麻友さんは、2日に1回、産婦人科に私と通い、エコーで、妊娠していないかを、チェックしてもらうこと。それと、もうひとつ、デートするファンに、性感染症を持っていないという診断書を、見せてもらう。実は、前に言ったように、私は、少なくともエイズ以外の性感染症がないことは、検査済みなのだが、エイズはまだ検査してもらっていない。麻友さんとそういうことをする前には、必ずそれも、検査してもらう。それより、二人で、保健所に行った方が、安心なのかな? そこの仕組みは、もうちょっと今は、保留。


 麻友さん。まだ、ヒトというものが、どうできるか、実際にやって見ずに、分からせてあげるという約束を、果たしてないけど、今の私の決心は、こういうものだ。


 多分、塩田さんも、私と何度も対決していて、あの優しい松田さんが、なぜこれほど、『胎児は中絶するとき、生きているんです』と言っても、分かってもらえないのだろう? と、疑問で、疑問で、しょうがなかっただろう。私という人間をもっと知っていたら、どこかにとんでもない行き違いがあることに、気付いたはずなのだが。

 私とは、こういう人間なのである。小学校6年生のとき、包茎手術を受けた話は、以前書いた。そのために、お風呂に入るたびに、消毒していた。これを、女の人のどこに入れるのだろうなどと考えながらお風呂のなかで、包んでいた皮を、被せたり、むいたり、していた。そのときは、むしろ痛いくらいだった。そのうちに、いきなり体が不思議な高揚感に襲われ、白い液体が、飛び出した。小学校4年生の頃から昆虫博士なんて言われていた私に取って、それが、精子(正確には精液)であるのは、すぐ分かった。だが、そのとき私を襲ったのは、このお風呂に後から入ってくる妹が、妊娠したら、どうしようということだった。母は、年齢から言って、多分妊娠しないだろうが、妹は、妊娠するかも知れない。
 膣の中に1億個も射精しても、辛うじてひとつの精子が、行き着けるかどうかなのだから、この大きいお風呂の湯船に拡散した精子が妹の体に入り、さらに妊娠する可能性なんて、ほとんどないのは、そのときの私にも、分かっていた。だが、可能性が0.1%でもあったら、それを放っておくのは、科学者としては、許されない。
 私は、凍えそうになりながら、お風呂の栓を抜いて全部お湯を流し、改めてお湯を張ったのだった。

 私とは、こういう人間なのだ。塩田さんも、『どうして、確かに手応えがあるのに、松田さんが、分かってくれないのだろう』と、ずっと疑問だったのが、ほとんど解消されただろう。
 私は、未確認なことに対し、納得が行かない結論を下すことは、しない人間なのである。今まで、分からない、分からない、と言って、性行為を一度もしなかった理由も、やっと明るみに出た。

 ここまで、待ってくれた、塩田さん、そして、麻友さん、ありがとう。


 『コクリコ坂から』の映画の結末について、

私「(海と俊は、)お父さんが違うという証人が現れ、救われますが、もし本当に兄弟だったら、どうするつもりだったんでしょうね?」

塩田「それは、映画でも描かれていませんし、私にも、結論は、出ませんが」

私「私は、本当に、好きだったら、一緒になって良いと思いますけどね。ただ、私は、自分の好きになった人に、好かれた経験がありませんから、相手がどう思うか? ということに関しては、未知ですが(と、言いながら、私は、映画『スターウォーズ』のジェダイの帰還で、それまでベッタベタだった、レイア姫とルークなのに、兄弟だと分かった途端、『兄なんです』なんて、平気で言うレイア姫の神経が、分からなかったのを、思い出していた)」

塩田「松田さんは、松田さんのままで、良いんじゃないですか?」

私「確かに、二十代か、十代向けの映画を、50歳で、やっと説明してもらって、分かっている私は、結婚できなかったのは、当然かも知れませんね」

塩田「結婚に拘らなくても」

私「でも、好きになった女の子に、手を握るより前から、こういう話をしたら、そりゃー、嫌われますよね。麻友さんには、話してますけど」

塩田「そうですね。ウフフ」


 これで、投稿本文は、終わりである。ここまでで、7000文字を越えており、お疲れ様でした。

 この後は私に、中絶のとき、赤ちゃんが、心臓が動いているほどなのだ、と、気付かせた『モーツァルト交響曲第25番(その2)』の投稿のときに引用した、「中期中絶」の壮絶な現場、というネット上の文章のコピーである。今までは、リンクを張っていたが、リンクが切れる可能性を考え、コピペしておく。

 麻友さん、今までにも、リンクを張ってきたから、読まなくていいよ。むしろ、読まない方が、私の伝えたいことが、伝わるかも知れない。

 現在2022年10月21日19時26分である。おしまい。


 以下は、4377文字あります。

「中期中絶」の壮絶な現場と「性教育」「アフターピル問題」

【筆者:相馬花(仮名)・産婦人科クリニック看護師】
 私はとある産婦人科医院で働く看護師です。人工妊娠中絶の件数が多く、中でも、子宮収縮剤で人工的に陣痛を起こし流産させる、いわゆる“中期中絶”(妊娠中期=12週~22週未満)が数多く行われているクリニックです。まだほんの“子ども”にしか見えない未成年や、様々な事情を抱えた大人の妊婦さんが、中絶を希望して訪れます。もちろん医師は産むことを勧めますが、やはり事情は人それぞれです。

 一昨日は、隣の部屋が出産のお祝いムードに包まれる中、私のいた部屋には重苦しい空気が流れていました。皆、一声も発することなく、中絶手術受けた本人も声を殺して泣き、静けさの中で淡々と処置は終わりました。看取りは慣れているつもりですが、中期中絶の日は、いつも悲しく辛い思いに押しつぶされそうになります。

 とっても綺麗な可愛い赤ちゃんでした。本当はあと半年もすれば、産声をあげ、抱っこしてもらえるはずだった命。娩出後に臍帯を縛っても、赤ちゃんがしばらく生きていることもあります。私はそのまま処理を進めず、時間がある限り、赤ちゃんに寄り添います。最期の時が少しでも安らかでありますように。抱っこを拒否されるお母さんも少なくありませんが、そんな時は、代わりに抱っこしてあげます。

知られてはいけない中絶の現場
 私が今のクリニックに来るまでに経験したのは子宮内胎児死亡、つまり死産だったので、外に出てきた時には赤ちゃんは既に青黒くなっていました。でも、妊婦側の希望による中期中絶では、出て来たその瞬間まで赤ちゃんは生きています。赤ちゃんの心臓は、赤ちゃんの体の外から見ても分かるくらいに、しっかりとした鼓動を打ち続けている。

 しかも、早い週数で処置をできず、22週未満ぎりぎりで処置をした場合、外に出した瞬間に泣く赤ちゃんもいます。しかし医師は泣かせてはいけないと、直ぐに赤ちゃんの口を手でぐっと抑えます。さらに急いで臍帯を縛る。命の綱を断つのです。医師も、必死に耐えている表情。次第に赤ちゃんの表情は苦痛に満ち、段々と青ざめ、冷たくなっていきます。さっきまで確かに生きていたのに。

 この光景を初めて見た時、私は、「人殺しだ。本当にこれは人殺しだ」と、一瞬パニックになりました。自分がしているこの仕事は、いったい何の為なのか。何日も、何も感じられないくらいに感情が麻痺し、ショックだった。そのことが、今も生々しく思い出されます。

 それが、この仕事をしている人にしか分からない現場であり、現実です。特段、口止めされているわけではなくても、関係者以外には話したことはありません。知られてはいけない現実であると、スタッフが皆、暗黙の了解でそう感じています。この現実を知るからこそ、子宮内容除去術(機械的に子宮内容物を除去する手術。妊娠初期=12週頃まで)以外の中絶はやりたがらないクリニックはたくさんあります。



 さらに、日本では妊娠12週以降の中絶は、死産届を妊婦さんが提出しなければなりません。するとその場合、実際には中絶にもかかわらず、出産育児一時金が支払われるのです。まるで自分たちの税金を投じて人殺しに加担しているような気にさえなります。アフターピルが広まるのを拒む動きがある中で、こんな矛盾が知られずにいます。

中学生の中絶手術と性教育
 中期中絶の現実はほとんど知られておらず、簡単に処置して終わり、と多くの方が思われているかもしれません。でも、若くしてそうした中絶手術を受ける子たちもいます。自分が悪かったと、一人では背負いきれないほど大きな心の傷を抱えて生きていくことになります。

 先日も、ある10代の中学生になりたての女の子が、男の子と一緒に病院へ来ました。生理が来ないので妊娠しているか調べて欲しいと言うのです。診察の結果、やはり妊娠していました。双方の両親とも話し合い、経済的理由から中絶を選択。話をしていても、事の重大さを自覚できない程にまだあどけない2人。日程を決めて入院し、処置は施行されました。

 さらに驚いたのは、退院後に来院されたご両親です。医師に、「娘に避妊目的でしばらく低用量ピルを飲ませておきたい」と相談に来たのです。しかし、担当医はご両親に丁寧に説明していました。「セックスするのは悪いことではありません。むしろ、どんな時にするべきことなのか、性欲をどうコントロールしていくか、人間であるならどう行動するべきかを教えなければならない。ピルを飲み続ければ確かにまた同じようなことは起きないでしょう。しかし、ピルを飲ませることで、そうした教育の機会が失われてしまうかもしれない。そういう意味で、今回ピルを処方する事には反対です」

 家庭内で適切な性教育が行われていない現状。しかし、性教育を学校だけに頼るのは無理があります。家庭内での親子のコミュニケーションや育児の方法にも大きく左右されるとはいえ、「子どもはセックスなんてまだしない、知らない」などというのはもう昔の話。今は色んな所から情報を得る事ができ、妊娠の意味も中絶の意味も本当には分かっていない10代の子どもも、大人の真似をします。

 彼らをいくら叱ってみても、分からないものは分からないのです。順を追って説明し、反応を確認し、望まない妊娠を簡単にしてはいけないのはなぜなのか、自分の口で言えるようになるには、時間がかかります。

 でも、それは大人の責任なのです。

 誰でも失敗はします。でも、恥ずかしいのは失敗でもなければ、もちろんセックスをすることでもありません。結果に対して、あるいは結果を見越して、適切な対応を取れない無責任な大人たちの方です! 教育を放棄している。それが、今の日本の恥ずかしい現実です。

誰かを責めても解決しない、学び直すべきは大人
 私は常々、私たち大人が、もう一度正しい性教育を受ける必要があると思っています。誰しも、自分が知っていることしか教えられません。ところが、今までの日本人の性教育ではもう対応できない。まず大人自身が、性教育について学び直す必要があるのです。



 そもそも大の大人でも、学習能力に欠け、何度も中絶を繰り返す人がいます。世間の人たちは、彼らがしていることは「人殺し」と変わらない、もっとその現実を突き付け、反省させろと言うかもしれません(もちろん、中にはレイプなどの被害者も含まれますから、一概には言えませんが)。しかし私は、どんな場合でも、どんな人に対してでも、反省しろという言い方は間違っていると思います。

 彼らと接していて明らかなのは、知識不足です。大人なら正しい避妊方法を知っていて当然と思っていましたが、初歩的なことさえ、あまりにも知らなさすぎる。

 例えば、コンドーム。どのタイミングでつけたらいいか、知らない人が驚くほど多い。さらに、コンドームによる避妊失敗の多さ。コンドームは簡単に使用できる、という世間での認識とはかけ離れた実態があります。サイズが合っていない、射精後しばらく膣内にペニスを留置したために抜去時に脱落する、など、使い慣れるまでは失敗することも多いのです。

 また、女性の基礎体温から排卵日を予測して行った避妊も、失敗しがちです。女性の月経周期はとてもデリケートで、ちょっとしたストレスで簡単にズレてしまいます。そもそも基礎体温を付けて自分の月経周期を熟知していたとしても、それこそ医療者でもない限り(厳密には医療者でも)、そこから予測して完璧に避妊するのは困難です。

 つまり、中絶を選択せざるを得なかった人たちは、学習する機会を与えられなかった人たちなのです。彼らには、子供と同じように一から説明していくしかありません。きちんとした教育が確立していないところで、彼らを頭ごなしに批判していったところで、社会全体として状況は改善されません。まず、教育です。きちんと説明を受け、理解した上で、今後どんな行動を取るかはその人の責任、ということです。

アフターピル反対は「中絶黙認」に等しい
“子ども”であろうと大人であろうと、中絶をした人たちは、自分のした行為で大切な命が失われたことは、十分に分かっています。でも、親も世間も、その事実から目を背けたり、見て見ぬふりをして、真剣に向き合ってはくれません。だから当事者も、一生懸命に無かったことにしようと、明るく振る舞うことに必死です。

 現場を知る私にしてみれば、アフターピルのオンライン処方や市販化に反対し、普及を妨げる人たちは、そうした苦しみを放置し、黙認し、生きられない命を増やすことに賛同しているに等しい。当事者ではないから、きれいごとを言っていれば済むのです。だったら、毎日仏壇に手を合わせ、謝って下さい。「赤ちゃんごめんね。苦しむ前に何とかしてあげられなくてごめんね」って。

 中絶された赤ちゃんの手を握りながら看取るのは、実際、私くらいです。今日は保冷庫を開けて、一昨日の赤ちゃんに声をかけ、改めて手を合わせました。来世は必ず産声をあげられますように、と。そして、正直に言えば、もう赤ちゃんの泣き声に罪悪感を抱かなくて済みますように。もう赤ちゃんを殺さなくても済みますように。

 今後、早急に性教育が充実し、正しいアフターピル使用について皆が知り、同じことが繰り返されないよう望みます。同じ苦しみや悲しみを味わう人が少しでも減り、誰もが笑顔で赤ちゃんを抱っこすることができる日が来ますように。




(本稿は『MRIC』メールマガジン2018年11月15日号よりの転載です)
医療ガバナンス学会
広く一般市民を対象として、医療と社会の間に生じる諸問題をガバナンスという視点から解決し、市民の医療生活の向上に寄与するとともに、啓発活動を行っていくことを目的として設立された「特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所」が主催する研究会が「医療ガバナンス学会」である。元東京大学医科学研究所特任教授の上昌広氏が理事長を務め、医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」も発行する。「MRICの部屋」では、このメルマガで配信された記事も転載する。


 以上、引用文4377文字ありました。お疲れ様。

 実は、こんなこと、クヨクヨ考えているより、もっとスカッと気持ちが晴れることやった方が、よっぽど気持ちいいんだけどね。つき合わせて、済まなかったね。麻友さん。

 現在2022年10月23日18時37分である。おしまい。