現在2024年11月19日20時19分である。(この投稿は、ほぼ2025文字)
麻友「何よ、壁って。太郎さんにも、壁なんて、あったの?」
私「今日は、ポートで、ひとつきに1度の英会話の日だった」
若菜「勉強して行ってるんですか?」
私「勉強して行ってない。だから、いつも、先生に申し訳ないなあと思いながら、受けている」
結弦「その、勉強して行かれないという壁なの?」
私「そんなのまで、いちいち壁と思っていたら、生きて行かれない。ただ、あの授業を、もう少し勉強して行けば、街で困っている外国人に、“May I help you?” くらい言える人間になって、もうちょっと様になるのだが、と思いながら、3年以上来てしまった」
結弦「てんで、壁なんて、倒せないじゃない」
私「そうは、言うけどなあ、壁を片っ端から倒していく人間というのも、それはそれで、周囲から煙たがられもするんだよ」
私「それはそうと、今日のレッスンが終わった後、先生から、『今日も、松田さん1人でしたけど、今後どういうレッスンを、望まれます?』と、ストレートに聞かれた。時間は十分(30分くらい)あったので、思っていることを話した」
私「私の妹というのは、中学や高校の頃から、あのお姉さんくらい勉強ができたらねえ、と近所のお母様方が、言うくらい、成績が優秀だったんです」
私「ただ、私が、あんまりだったので、そのせいもあって、受験では、青山学院大学の短期大学で、あまりパッとしなくって、・・・(と、しゃべりながら、私の頭の中で、私が1年浪人して1991年京都大学理学部入学。そして、1992年妹が入学、というピースがはまる。妹の受験時代、1991年は、母と父にとって、まったく味わったことのない、もう大人になっているはずの息子に、恋愛のことを、どう教えたらいいのか? という難問に、頭を悩ませていた時代だったのだなあ、と、気付いた)」
麻友「一体、太郎さんは、何を、困らせていたの?」
私「これは、もうこのブログ記事に書いてある。
のブログだ」
若菜「こういう風に、面倒なもの一切合切書いて、参考文献にしちゃうって、ひとつの手ですね」
私「(ひとつ、新しいピースがはまったまま、しゃべり続けた)卒業後、就職して、それから、ガーデンのことを勉強したいって言って、YMCAで、英会話の一番下のコースから入って、1年半か2年くらい勉強して、本当にイギリスに行ったんですよ」
結弦「つまり、3年半もやってて、なぜ自分は、このままなのかと?」
私「そんなことを、言う気はなかった。だが、妹は、いっとき、我が世の春を満喫できる瞬間が、あったのかもなと、ふと気付いたんだ。だとすると、お姉さんと弟という逆の立場だが、勝ちっ放しの若菜姉さんを、見ていて、弟の結弦は、僕だって!という気持ちが、起こるかも知れない。だが、若菜姉さんは、私と違い、失敗しそうがない。『失敗しなくても良いんだ、僕の邪魔をしなければ』と、最初は思っていたが、『あれも、これも、持っていく』ように、思えているかも知れない」
麻友「太郎さん対英会話が、若菜対結弦に、なっているわよ」
若菜「あっ、そうかあ。私が、もう日本に帰ってこなきゃ良いのか」
結弦「もう、帰ってこないって?」
若菜「お母さんに取って、お父さんは、立ちはだかっていた壁だった。どうやっても越えられないように、思っていたけど、恋愛の失敗と数学・物理学の問題の解決の不手際で、精神を病み、壁の方から消えていった。それ以来、松田家では、学歴を重んじることが、良いとは限らないという風潮がある。お母さんにとって、こうして、壁は消えた。だけど、結弦にとっての、壁である私は、精神的にも強く、そう簡単には、消えない。でも、姿を消すことは出来る。会わなければ良いのよ」
私「私は、お前たちのように、中国へ行ったこともないから、価値観が全然違う国のことは、分からない。でも、若菜が、しばらく外国へ行き、結弦の前に、現れなければ、若菜という壁は、なくなったとも言える。結弦の思っているように、人生設計できるんじゃないのか?」
結弦「そう単純なものじゃないけど、壁の方から消えてくれるということも、有り得るのか」
麻友「人間は、太郎さんみたいに、数学でわりきれるものではないから、こう簡単には行かないでしょうけど、若菜の成功が確定するにつれて、結弦の状態が、悪くなっていく様だったものね。来年の3月に、どうなっているかしらね」
若菜・結弦「じゃあ、取り敢えず、おやすみなさーい」
麻友「おやすみ」
私「おやすみ」
現在2024年11月20日23時24分である。おしまい。