女の人のところへ来たドラえもん

21歳の女の人と43歳の男の人が意気投合し、社会の矛盾に科学的に挑戦していく過程です。                    ブログの先頭に戻るには、表題のロゴをクリックして下さい。                                   数式の変形。必ずひと言、添えてよ。それを守ってくれたら、今後も数学に付き合ってあげる。

1週間経って

 現在2024年7月26日17時43分である。(この投稿は、ほぼ3739文字)

麻友「お医者さんのところへ、行ったのね。この写真は、どう見れば良いの?」

私「麻友さんが、こういうときの、ブレインを、連れていれば、この写真の説明を、求めるだろう。そうすれば、直ちに、『これは、肺の末期癌で、余命1年弱と、推定される』と、言葉が返ってくるだろう。ウソだと思って、他の医者、他の医者、と当たっても、答えは同じ。『ずる賢い太郎さんのことだから、悪いことを考えているのではないかと、気を引き締めるけど、見えているものは同じ』まあ、見て御覧」

麻友「説明して欲しいのは。どういう経緯で、この写真に至ったのか?」

私「鶴見のバスターミナルで、倒れて、横浜市立みなと赤十字病院へ運ばれたのは、7月18日の木曜日。当初お医者さん達は、新型コロナウイルスを、疑ったが、鼻腔から採取した粘膜からは、新型コロナウイルスは、採取されなかった。次に疑ったのは、肺炎であり、CT によるスキャンで、左肺の下部に、影が観られた」

若菜「そこまでは、昨日の投稿で、ある程度、知っています。それより、今回の写真を説明して下さい」


私「みなと赤十字病院を、出るとき、『救急病棟では、4日分しか、薬を処方できないんです。でも、本来、肺炎のための抗生物質は、7日分飲まないと、意味がないんです。だから、紹介状を書いた、小出内科に、出来れば、明日行って、残りの3日分を、処方してもらって下さい』と、厳命された」

結弦「あれっ? 19日に小出さんに、行ってるの? なんか、お父さんの手帳、18日から20日まで、またがって書いてある」

私「少し書いたように、病院から帰ってきて、出納帳を付けていて、夜の薬の時間になる。眠るためのセロクエル、オランザピン、フルニトラゼパムを、飲んだ後、玄関のノートに手を伸ばして、バランスを失い、玄関へ、仰向けに倒れ込んだ。このときは、10年くらい前に、2014年にいずみ野で、後ろへ倒れて、自分の力で、体を起こせず、肺炎として、入院したときのことを、彷彿とさせた。私としては、また、誤嚥性肺炎とか、肺炎で、運ばれるのでは、かなわないので、体の下の方のノートや、本を、少しずつ頭の方へ、動かし、しまいには、千ページ以上の『重力理論』も、移して、体を玄関から、部屋の内部の方へ、動かして、5時頃、やっと起き上がることが、できた。起きられたのは良かったが、せっかくフルニトラゼパムを飲んだのに、夜中寝られなかったので、その頃になって、眠くなり、眠ってしまった。この一晩の、倒れていたときの7時間くらいのことは、まだ書いてなかった」

麻友「もう一回、救急車で運ばれているところじゃない」

私「いずみ野で、2回、救急車で、運ばれたのは、体が衰弱していて、起き上がれなかったという点で、似たようなものだった。今回は、どうしても、起きたかったのだ」


結弦「そうすると、19日の金曜日は?」

私「母が生活費として、1万円届けてくれた。頻繁にメールをやり取りしていて、薬を飲むときは、全部写真に撮って、送っているので、母は、どれくらい私が衰弱しているか、把握している」

若菜「あのとき、凄かったですよね」

私「20日の土曜日、ゼリーや、レトルト食品や、冷凍食品を、届けてくれたとき、今回の一連の騒ぎで、1回だけ、私の部屋に入った母は、私が起きるためにグチャグチャにした玄関に、腹を立て、ノートを2冊投げた。本当は、麻友さんの写真を落とそうという積もりだったのかも知れないが、母は運動神経が鈍いから、そんなことは、かなわなかったが。しょうがないので、私の着ている寝間着を観て、『変な服着てるし』と、言って、帰って行った」

麻友「私の寝間着着てたの?」

私「母の恨みが、込められた一瞥で、4個あるうちの一番上のボタンが、壊れてしまった。ほらっ」

麻友「コワー(恐)」


私「21日の日曜日になって、家を出る勇気が出た。玄関から、どこまで歩こうかと考えていると、203号室の人が、出てきて、何を考えるでもなく、トントントンと、階段を降り、外出して行ったので、『私も、大丈夫かな?』と、つられて階段を降り、外に出た。ファミリーマートで、マスクや、冷凍タオルなどを買った。駅の向こうのミニストップへ行き、冷凍の鍋焼きうどんを2個買った。このミニストップの鍋焼きうどんは、エビのしっぽのところの殻が、剥がされていないのが、残念である。椎茸も汁が十分しみていて、美味しいのに」

若菜「食欲全開ですね。それで、どうなったのですか?」

私「22日の月曜日、18日から4日経ち、この日肺炎の抗生物質を、処方してもらわなければ、ならない。なんで、4日以内に処方だの、7日だのと言うかというと、まず、処方箋は、医師が処方しなければ効力を発しない。さらに、抗生物質は、医師が処方箋を書かなければ、渡せないのだ。もちろん、闇で、なんとかするという方法を考える人もいるだろうが、この平和な国で、敢えて闇に手を染めなくても、生きて行かれるのに、そんなルール違反をする必要は、私は感じない」


麻友「ちょっと待って。だって太郎さんは、肺の末期癌で、余命1年以内なんでしょ。そんなルール、どうでも良いじゃない」

私「どこまでも、美しく生きた、大アイドル渡辺麻友が、そんなことを、言うのかい。生きられないなら兎も角」

若菜「生きられれば、ですが」

結弦「とにかく、22日の月曜日、小出さんに、行ったんだね」

私「行ってみると、先生から、問題を出された」

小出先生「紹介状を、読んだのだが、どの薬を使うかは、書いてあるが、どういう量処方したか、意地悪して書いてないんだよ」

小出先生「ほらね、オーグメンチンと、アモキシシリンを処方としか、書いてないんだ」


結弦「えー、先生から問題とか、そういう問題じゃないでしょ。飲んでいる薬を、見せれば、それで、済まない?」

私「朝の薬は、飲んであって、最後の薬は、家にあるが、こういう場合、薬の量によって、カプセルや錠剤の色が、異なるものだ。以前、塗り薬のジフルプレドナート軟膏を、他の先生に、処方してもらうとき、薬の写真を表示してもらって、選んだことがある。色というのは、非常に役に立つ。小出先生は、『この組合せで飲むんだが』と、400ページくらいの本を、ボールペンで線を引きながら、読んでいる。結局、問題は、何なのだ? この病院に、薬の写真を表示できる、みなと赤十字病院みたいなシステムを、導入して欲しいということか? 確かに、小出さんは、町の医院として、十分機能したのだし」

私「『次回、飲んでいた薬を、持って来ます。』と言い、薬局へ向かった」

若菜「先生の要望とか、お父さん死にかかっているんじゃ、ないんですか」

私「薬局へ行って、問題は少し晴れた。まず、『この薬の写真を、見せてくれ』と、言っても、『サワシリンは、当薬局で扱っていないので、近くの薬局から取り寄せられますが、お待ちください』ということになる。そりゃー、ジェネリックでも、敵対会社の薬の写真は、用意してないよな」

結弦「あっ、そうか。ジェネリックとか、薬の名前が複雑すぎるとか、病院と製薬会社や薬局の癒着とか、あらゆる問題への解答を、諮問されているのか。でも、サワシリンなんて、処方された中にあったっけ?」

私「みなと赤十字病院で、処方されたのは、アモキシシリンという薬だ」

麻友「もう、間違えてる。薬返しに、行かなきゃ」

私「4日掛けて、手に入れた薬だと、これで何とかならないかと、超の付く頭の良い先生、インターネットで、


『アモキシシリン サワシリン


と、調べてみる。どうも、サワシリンという薬が、アモキシシリン水和物(すいわぶつ)という物質による、薬のようだな。と、崖っぷちで、踏みとどまった」

結弦「もうひとつの、オーグメンチンというのは?」

私「こちらは、今回は、辛くも逃げ切ったが、実は恐ろしい、薬剤名争いが、あったようだ」

若菜「どういうことですか?」

私「平和なときなら兎も角、この薬がなかったら、肺炎は治せないのか? という問題は、色々な場合起こる。数学でいう、別解探しである。一方、製薬会社としては、ジェネリックとして安く作れるなら、別解だけで済まそうとも、してしまうかも、知れない。実際に、化学的に全く同じ薬なら、それで良いが、違うと困る。このオーグメンチンに関して、抗生物質という名前の、威信に関わるドラマが、起こっていたのかも知れない」


私「麻友さん。今日は、肺炎の薬は、もう飲んでないけど、眠るための薬は、飲まなければ、ならないんだ。妄想も起こってるから、統合失調症のための薬もね。おやすみ」

 現在2024年7月26日21時17分である。おしまい。