現在2024年5月27日16時54分である。(この投稿は、ほぼ2210文字)
麻友「また、太郎さんが、拘るなんて。私に拘ってても、良いことなかったでしょう」
私「麻友さんに関しては、もう十分成果が、上がっていると思うから、これで、良いんだよ」
若菜「それで、自分のことで、何を拘ると?」
私「先日まで、位相のことに拘って、
を、ノート13冊まで、進めていた。また、その前は、『解析入門Ⅰ・Ⅱ』に拘って、ノートを15冊以上、進めていた」
私「それから、
に関して、ノートを18冊作ってある」
私「さらに、物理で、
を、ノート6冊まで。また、やっと始めた、
に関してのノートもあって、5冊読みかけの本が、あった」
私「分かっているだろうが、この他に、
もある。やっぱり、1冊に絞らないと、いつまで経っても終わらない、というのが、目に見えている」
結弦「どれに絞るというの?」
私「数学基礎論の、
に、絞ろうと思う」
麻友「数学基礎論を選ぶなんて、それは、1993年12月2日のままじゃない。京都大学3回生の太郎さんのお誕生日の決断。30年前と同じ選択をしようというの?」
私「そう言われることは、分かっていた。だが、30年前に、数学基礎論の文献を、読み終えようと思ったときと、現在でも、目標は、変わってないんだ。実数というものを、きちんと捉えたい。実数というものが、まだ分かってない。だから、『数学基礎概説』を、読み切ろうとしたのだったが、今回は、大分取り組み方が、違う。何々の公理というものが、いくつかある。数学では、当然なのだが、この本を読んでいくと、364ページに、
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定義 7.2.7
を,構成可能性公理(Axiom of Constructibility)と呼ぶ.
ひとつ言葉に関する注意をする.構成可能性「公理」となっているが, をだれも疑い得ない真理と言っているわけでは決してない.むしろ「(作業)仮説」(Hypothesis)のほうがしっくりくる.同じことが,小節 4.5.4 定義 4.5.37 で導入した Martin の公理 MA がその典型例である「強制法公理」(forcing axioms) や「巨大基数公理」(large cardinal axioms) にも言える.
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(新井敏康『数学基礎論(増補版)』p.364)
『何々の公理というものを、絶対正しいことと、思わない方が良い。ある定理の証明をするための作業仮説のように、思った方が良い』というのだが、私が、実数を完璧に定義しようと思っても、『これが、実数の完璧な定義です』というものは、ないのだろう。ただ、完璧な定義がなくても、他の人に、実数で、計算してみせたり、計算させたりするのに十分なだけの、統一的な見解を、共有することは、多くの場合、できる。そうして、この場合は、こう。あの場合は、こう。という柔軟な対応をするためのものが、作業仮説だ。と、捉えたらどうだ」
麻友「いつ、そう考えたの?」
私「10分程前(現在2024年5月27日22時33分)」
結弦「それって、お父さんが、 や、
から、自由になったってことじゃない?」
私「だとしたら、麻友さんの功績だ。
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私「麻友さんに関しては、もう十分成果が、上がっていると思うから、これで、良いんだよ」
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の言葉が、本当になった」
麻友「つまり、どういうこと?」
私「数学の問題を解く場合、何が、仮定されているかを、見極めた上でなければ、問題を解いたかどうか、分からないんだ。というところまで、私が、数学を悟ったということだよ」
若菜「仮定によっては、結論が逆になることもあるということですね」
私「これからは、この立場に立てば、こう。あの立場に立てば、ああ、というように、数学は、幾らでも、多くの演技を見せてくれる。直観主義という数学を持ったときより、更に数学が面白くなった。幸せだ」
麻友「もう一つ、話したいことが、あったのでしょう?」
私「麻友さんが、選んでくれないから、自分でベルトを選んだ話だ。明日以降に投稿するよ」
麻友「じゃ、おやすみ」
若菜・結弦「おやすみなさーい」
私「おやすみ」
現在2024年5月27日23時12分である。おしまい。