女の人のところへ来たドラえもん

21歳の女の人と43歳の男の人が意気投合し、社会の矛盾に科学的に挑戦していく過程です。                    ブログの先頭に戻るには、表題のロゴをクリックして下さい。                                   数式の変形。必ずひと言、添えてよ。それを守ってくれたら、今後も数学に付き合ってあげる。

父に会って欲しい

 現在2023年5月19日19時07分である。(この投稿は、ほぼ1831文字)

麻友「これは、そういう意味なのね?」

私「状況を、説明すると、先週の金曜日(5月12日)から孫2人と、その2人の母親の私の妹が、実家に来ていた。土曜日、私も呼ばれて行って、姪・甥と会って、食事をした。父は、いつも以上に言葉が少なかった。日曜日(5月14日)、父が、電車で行くというのを、妹が無理矢理、車に乗せて、私の母、妹、姪、甥と、父とで、父のもう一つの母校、東京工業大学すずかけ台キャンパスへ行ったらしい。すずかけサイエンスデイというオープンキャンパスみたいなものがあったようだ。私は、姪や甥に、邪魔になっても、と思ったのと、雨が酷かったので、行かなかった。かなり、父が、疲れていると、薬のメールのとき知った。月曜日(5月15日)父の状態が良くないので、主治医に診てもらおうと思っていると、母から聞いたが、どこの病院だったか、すぐには思い出せなかった。火曜日(5月16日)父は、母に付き添われて、病院へ行ったようだ。翌日水曜日(5月17日)生活費を受け取りに行ったとき、母が、「値が、良くないのだ」と言った。ワルデンシュトレーム型マクログロブリン血症という血液の癌で、もうどうしようもないほどのところへ、来ているという意味だと、分かった。書くところがなく、出納帳に、『父多分入院、絶対生きて帰ってくる』と、書き込んだ。そして、次の日(5月18日)木曜日、『朝の薬、飲みました』と、メールしたら、9時32分に、『薬了解 今みなと赤十字病院』と、返事が来て、『あっ、みなと赤十字病院だったんじゃない』と、やっと気付いた。そして、今日(2023年5月19日)母が、珍しく、かなり取り乱している。1人ずつとなら、面会できる、とか言っている。ここまでが、現状だ」

麻友「ごくっ」

私「だが、麻友さん。私の感じからして、父は、退院してこられると思う。それくらいの、生命力はある。ただ、もう長くはない。半年、或いは1年くらいは、生きるかも知れないが、私はその間に、父に麻友さんを紹介したい。『AKBみたいなのは、嫌いだ』と言っている父だが、麻友さんなら、認めると思う。どうして、そんな無責任なことが、言えるかというと、父は私のブログを読んでいた様だからだ。思いっきりバイアスかかっているが、渡辺麻友という人が、どんな人か、ほんのちょっと知っているはずなんだ」

麻友「私は、どうすれば、良いの?」

私「少なくとも、1つだけ、約束してくれたら、父は、安心して、死ねると思う」

麻友「どんな、約束?」

私「『息子さんの統合失調症という病気を、良く知って、支え合って生きていきます』という意味のことを言って、本当にそれを実践できるというところを、見せて欲しいんだ」


麻友「お父様の生きているうちじゃなければ、ならないのは?」

私「麻友さんを好きになったのは、2015年だ。おばあちゃんにも、会って欲しかったが、おばあちゃんは1922年生まれで、翌年2016年には、もう94歳だったから、麻友さんに会ってもらうのは、無理だと思い、麻友さんの待ち受け写真を、これが未来のお嫁さんですと、叔母さんにメールで送った。翌年の2017年は、叔母さん達が、アイドルなんてと思って、見せない可能性があると思って、コンビニのミニストップのプリンターで、良く撮れている2枚の写真をプリントして、おばあちゃん宛ての封書で、送った。おばあちゃんは、2018年5月5日に、永眠した。おばあちゃんには、無理だったけど、父には、まだ間に合う」

麻友「知りたいのよ。太郎さん、お父様のこと、嫌ってるじゃない。どうして、結婚を認めてもらわなければ、ならないの?」

私「うーん。娘と父親というのと、息子と父親というのは、微妙に違うんだよね。この歳でいう言葉じゃないけど、父に勝ったぞ。みたいな」

麻友「勝ったって、どういうこと?」

私「つまり、お父さんの選んだ人より、美人の女の人、勝ち取ったぞってことなんだよ」

麻友「つまり、太郎さんのお母様より、私が、美人だって言いたいの?」

私「悲しい宿命だけど、そういうことなんだよ」

麻友「分かった。正直に言ってくれたから、少し分かった。ちょっと、考えさせて」

私「今日は、ここまでにしよう」

 現在2023年5月19日20時44分である。おしまい。