女の人のところへ来たドラえもん

21歳の女の人と43歳の男の人が意気投合し、社会の矛盾に科学的に挑戦していく過程です。                    ブログの先頭に戻るには、表題のロゴをクリックして下さい。

有理数体(その2)

 現在2019年6月13日4時26分である。

「連投ね」

 昨晩、薬飲んで、眠くなっちゃったから、最後の方駆け足になっちゃったんだ。

「ビリヤードとポール・ニューマンのこと、書きすぎよ」

 書きたいときに、書かないと、後に残らない。


「それで、どこから、復習?」

 復習は、いらない。

 ただ、私が、小学校4年生の頃、公文の教室で、習ったことを、話そう。

 公文は、計算練習もあるが、文章題も一応ある。

 次のような、問題があった。


 問題

 130円の缶コーヒーワンダエクストラショットを、3本、買いました。いくらでしょう。


 これの解答欄に、私は、

 3✕130=390 答え390円


と書いた。

 そうしたら、公文の先生に、バツにされた。


 初め、私は、なぜバツにされたか、分からなかった。

 どう考えても、掛け算は、間違えてない。

 それで、試しに、


 130✕3=390 答え390円

と書いてみた。

 そうしたら、丸がもらえた。


「えっ、それって、おかしくない? 最初の計算だって、間違いじゃないはずよ」

 私は、確かめるために、算数の教科書を、丁寧に読んだ。

 そうすると、前回、特待生の麻友さんが、答えたように、

(掛けられる数)✕(掛ける数)

であり、

{4 \times 3} は、{4} が、{3}

{3 \times 4} は、{3} が、{4}

なのだ。

 そして、小学校の算数では、これが掛け算の定義なのだ。

 答えが合ってるから、逆にしてもいい、というのは、『数学』という見方によってはゲームであるものをやっていくうちに、とんでもない間違いだったことに、気付くことになる。

 行列という一種の数になると、交換法則は、もう成り立たない。

 『数Ⅲ方式ガロアの理論』で、出てくる群も、可換でないということになる。

 『定義は、どうだったかな?』

というのは、常に頭に置いておかなければならない。

 私は、『あの先生の掛け算の定義は、そういうものなのだな、と思ったので、以後はそれに従って、答案を書いたので、バツには、されなかった。

「太郎さん、徹底してるのね」

 公文の教室で、半年位して、同じ間違いをした子がいた。

『これ、バツにされたんだけど、どうしてかしら?』

と、他の子に聞いている。

『合ってるわよ』

『でも、何度先生に見せても、バツにされるのよ』

『あの人に、聞いてみたら』

『ねえ、ねえ。教えて』

『いや、合ってるはずよ』

 先生は、知らぬ顔。

『あの、お兄ちゃんは?』

 それで、私が、

『3✕4は、3が4個なんだ。4が3個じゃないんだ。それ順番直して、持って行ってごらん』

 その子はやっと、丸をもらった。

 それ以来、公文の教室で、私に聞いて分からない問題はない、という神話ができてしまった。


「でも、掛け算って、順番変えちゃダメなの?」

 変えて良いときと、駄目なときがある。

 例えば、『AKB48小学算数』の6番

 問題

 縦5m,横20mのステージの面積を求めてみて。

(一部改変)


という問題なら、

5✕20=100

でも、

20✕5=100

でも、あの先生は、バツにしないだろう。

 一方、球の体積のときのように、{\displaystyle \frac{4}{3} \pi r^3} というとき、この記号の順番は、まず整式では、定数が最初、次に、{\pi} など、そして、文字式、と、見栄え良く並べるのが、普通だ。

 でも、複雑な計算をするとき、あっちをこっちへやったり、こっちをあっちにやったり、なにやってもいい。最終的な式は、綺麗に書くけどね。

「安心したわ」

「それで、太郎さんの代入するというアイディアで、掛け算を乗り切ったのね」

 もう一度、持ってこよう。



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 定義 37  自然数の乗法 (定義35改)

{A=1+1+1+1,B=1+1+1} とするとき、{A \times B} を次のように定義する。

{A \times B =(1+1+1+1)+(1+1+1+1)+(1+1+1+1)}
{~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~\uparrow ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~\uparrow ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~\uparrow}
{~~~~~~~B~~~=~~~~~~~~~1~~~~~~~~~~~~+~~~~~~~~~~~1~~~~~~~~~~~~~~+~~~~~~~~~~~1}

 つまり、{B} の3つの {1} を、{A}{1+1+1+1} で、置き換えたんだ。

 代入したと言ってもよい。

 定義 37 終わり


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有理数体』から抜粋。



「これでも確かに、{A}{B} 個。つまり、4が3個に、なってるわね」

{3 \times 4} だったら?」

{3 \times 4 =(1+1+1)+(1+1+1)+(1+1+1)+(1+1+1)=12}
{~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~\uparrow ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~\uparrow ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~\uparrow~~~~~~~~~~~~~~~~~~\uparrow}
{~~~~~~~4~~~=~~~~~~~1~~~~~~~~~+~~~~~~~~1~~~~~~~~~~+~~~~~~~~1~~~~~~~~~+~~~~~~~1}

だね。

「そうね。具体的に、書いてくれると、分かるわ」

 ただ、本当は、私達はまだ、{12} という書き方は、できないんだよ。

「あっ、位取り記数法を、まだ、使えないんだ。だって、掛け算をまだ定義してなかったのですものね。{12=10 \times 1 +2} なんて、雲の上の話」

 そう。

 そして、本当は、掛け算九九でも、もう位取り記数法を知らないと、{9 \times 9 = 81} が、表せない。

「数学って、少し先のことを知ってないと、理解できないものなのね」

 そう、逆説のようだけど、その通りだ。でも、数学の歴史上は、その先のことを知るということを、やってくれてたのが、天才たちだったんだ。

「本当に、先のことが分かるの?」

・三角形のヘロンの公式

・2次関数の微分

{\displaystyle \sum_{k=1}^nk^2} の公式

・磁気というものはないという事実

微分形式の向き付けと矛盾しない外微分の定義

と、独力で発見してきた私の場合、

『なんか、こんなものが、ありそう』

という予感がまずある。

 作曲家の池辺晋一郎が、

『作曲するときというのは、まず、何か音が聴こえてくるんです。そしてそれを、これは、どんな楽器だったら表せるだろう、と思っているうちに、曲ができてくるんです』

と、『N響アワー』か何かで、言ってて、同じだな、と思った。

 とにかく、なにかのきっかけで、

『こういうものが、できそう』

という神様からの啓示のようなものが、あるんだ。

「それは、いつも、正しいの?」

 そのものずばりが、正しいとは限らない。

 でも、そこから得たアイディアが、他のことで役立つこともある。

 私、思うんだよね。

 モーツァルトって、神様から、もうこれ以上受け取れないというほどの曲のメロディーを、受け取っちゃったんだろうなあって。

 書いても書いても、次のメロディーが、浮かんでくる。


 連続テレビ小説なつぞら』の中で、主人公の奥原なつが、

『自分が描きたいものに、自分の手が追いついて行かないんです』

というけど、あれもそうだね。


「じゃあ、太郎さんも、辛くなることがあるの?」

 実は、大学時代、学年で数学が2番目にできた人がいたという話を、したよね。結局サラリーマンに、なっちゃったあの人。

 あの人が、ノートとか書くとき、本当に、蟻みたいな、小さい字で書くんだ。

 どうしてだろう? ノートを節約してるのかな?

って思ってたら、ある日、その人と仲の良かった女の先生が来て、

『ああ、小さい字書いてるわね。頭の回転に、手が追いついて行かないのよね』

と、言ったんだ。

 私は、びっくりした。

 手で書けないほど、アイディアがどんどん浮かぶなんて。

「その人、学年で2番なの、当然ね」

 いや、でも、違ったんだ。

 その人の頭に浮かんでたのは、目の前にある先生に与えられた問題を解くためのもう知っている数学的事実であり、新しいアイディアではなかったんだ。

「どうして、そんなことが、分かるの?」

 もし、本当に新しいアイディアが、どんどん浮かんでいたのなら、数学の道を逸れるなんてことは、できなかったはずだ。

「ああ、うーん」

「それで、太郎さんは、そんなに、手が追いつかなくて、小さい字で書くということは、ないの?」

 私、本当に、幸せな、人間なんだ。

 良く言っている、巫女さんが神がかりの状態になったみたいになって、バーッと、ノート30ページくらい計算する、というとき、私、新しいアイディアと、既に分かってるアイディアとの区別ができて、新しいアイディアだけ、ノートに書いて、もう分かっているところは、後でも書けるからと、空欄にしておいて、どんどん先に進むんだ。空欄がいっぱいあるから、30ページとかなるわけだけど、抜けてるところは、気が向いたとき書き込むこともあるけど、結局そのアイディアは、もう世の中に知られているということが、良くある。

 ノートがもったいない、と思うかも知れないけど、発明や発見って、一生に1回できたら、御の字じゃない。

 その発見のためだったら、一冊80円のノート、1年に30冊、2,400円使ったって、高くないよ。

「でも、発見なんて、もうないんでしょ」

 一昨日(2019年6月11日)トントンへ、行った。

 所長さんに、

「科学は、物理学は、という意味ですが、物理法則というものは、もう完全に分かっているんです。だから、新しい法則は、もうないんです。私って、数学が一番好きなんです。でも、物理学を目指してたのは、常温超伝導、つまり290ケルビンぐらいで、本当に電流がいつまでも流れる物質を作って、エネルギー問題をなくしたかったからだったんです。でも、それは、無理でした。物理法則のエレガントな公式を見つけるという研究の道もありますが、私は、病気で苦しんでいる人を、救うことの方に、進みたいですね」

と、話したんだ。

「でも、お医者さんになるわけでは、ないでしょ」

 もちろん。

「じゃあ、どんなことを、するの?」

 例えば、物理学で、匂いって、扱ってないはずなんだよね。

 ファインマン物理学にも、ランダウ=リフシッツの理論物理学教程にも、匂いについての記述はない。

 でも、人間って、不快なもののひとつに臭いがある。

 良い匂いと、悪い臭いって、漢字まで違うのに、物理学で扱えないなんて、おかしい。

 化学の文献、用意した理由は、それもあったんだ。

 同じ匂いでも、良い香りだと思う人と、悪臭だと思う人がいる。これでは、科学にならない。

 でも、ヒトゲノムまで、解析され、脳の中まで分かってきたのなら、

『この物質を、この脳の人が嗅いだら、良い匂いだと思うだろう』

という予測まで、できるようになるかも知れない。

 実は、人間は、なるべく自分と違う免疫の型を持った人と、結婚するように、進化の過程で、刷り込まれているらしい。その方が、子孫が生き延びられる可能性が高いから。そして、なんと、自分の免疫の型と違う人というのは、良い匂いがするらしいんだ。だから、好きになっちゃう。

 こんなことを、知ったら、整形にお金をかけたり、お洒落にお金をかけるのが、ばかばかしくなってしまう。

 勿論、好きになるのは、匂いだけが原因ではないけどね。

 でも、麻友さんと私は、体臭が分かるほど、近付いたことないね。

 ドッキドキお楽しみ会だね。

「ちょっと恐いわ」

 こんなに、恋い焦がれ合ったふたりが、互いの体臭が生理的に合わず、結婚できないなんてことになったら、大変だ。

「大丈夫よ。太郎さん」

 どうして?

「体臭が、耐えられなくても、同居できるのが愛の力よ」

 愛か。

 愛してます。なんて、気軽には、言えないけど、麻友さんには、いつでも、言える。

 さあ、もうすぐ木曜日の10時だ。ヤクルトさん来るぞ。

 有理数体、第2回は、私の今後の物理学を、描いたところで終わりだ。

「今日は、若菜と結弦、出てこなかったわね」

 すっかり、忘れてた。

「また、賑やかにやりましょうね」

 うん。じゃ、バイバイ。

「バイバイ」

 現在2019年6月13日9時48分である。おしまい。