現在2023年3月7日14時03分である。(この投稿は、ほぼ5227文字)
私「昨日の妹の話も、過去形だったな」
若菜「でも、物語の中の、1つの挿話になるくらい、素敵な話でした」
結弦「その頃から、司書に向いていたのかなあ?」
私「それは、分からない。ただ、小さい頃は、私が、宇宙の図鑑をプレゼントにもらったりしていると、『たろちゃん、本なんてプレゼントにもらって、可哀想』などという子だった。前にも話した気がするが、サンタさんに、「『ベルサイユのばら』のオスカルの乗っているような馬車が欲しい」とお願いして、「馬車だったら、どこに置いていってくれるのかな?」と、真面目に考えたり、次は、「ナウシカのメーヴェが、欲しい」とか、あまり現実的でないところが、あった」
麻友「奥さんは、渡辺麻友がいい、なんていう太郎さんが、言えたことですか?」
私「さて、そんな妹も、もう子供の数が、減ってきているので、なくなってしまったのだが、青山学院女子短期大学の国文科へ行き、どうしても、4年制大学に移りたいということで、編入試験を受け、残念ながら通らなかったので、制度上、短期大学の専攻科に1年在籍し、3年で卒業した。この短期大学にいたときに、父が、「司書の資格を取っておいた方が良い」と言ったので、かなり苦労して、資格を取った」
若菜「司書って、本当は、どういう仕事なんですか? 良く分からないですけど?」
私「実は、それに関して、面白い本の書評を読んだんだ。これなんだけどねえ」
若菜「お父さんのお父様が、毎週土曜日に、新聞を買ってきてくれ、と言ってるのが、功を奏しましたね」
私「司書というのが、大変なのは、自分の専門分野と関係ないことでも、『これについて、知りたいんですけど、どんな本を(或いは、新聞を)見たら良いでしょう?』という質問を受けることなのだ」
結弦「ああ、そういえば、主な新聞の書評を、毎週、読んでるとか」
私「そう。そういうことになる。まあ、今は、インターネットが、あるから、司書も、大分楽になったのだろうけど、1992年から1995年に、インターネットは、なかった」
結弦「司書の授業って、どんななんだろう?」
私「妹から聞いたんだけど、図書館の歴史も習う。そのひとつで、覚えているのは、1945年の敗戦前、B-29が、東京にも来るかも知れないと、なったとき、東京大学の図書館は、万が一、焼夷弾が落ちたときのため、図書館にある、全部の本の全ページを、マイクロフィルムに撮って、疎開させたんだ」
麻友「スキャンとか、ないのね。でも、写真に撮るほど、大切な文献かどうか、分からないじゃない」
私「だから、全部」
麻友「もったいない」
私「もったいないのは、この後なんだ」
若菜「疎開させたのに、敗戦で、戦争が終わっちゃったからですか?」
私「そうじゃ、ないんだ。戦争は終わり、マイクロフィルムも、東京大学に戻った。それから、20年くらいなのかなあ、AKB48のシングル『翼はいらない』の Type-C の Music Video に描かれているような、大学紛争が、起こり、1969年東京大学の安田講堂事件が起こった。マイクロフィルムに、何が映っているのかも知らない、学生達が、『何だこれ?』と、沢山あるフィルムを、引っかき回した。そこへ、消防隊が、放水した。microSD カードだったら、大丈夫だっただろうけど、フィルムに水をかけたら、全部ダメだ」
結弦「えっ、もの凄い貴重な、バックアップだったのに」
私「価値の分からない人に、使わせると、もったいないことになるという、良い例だね」
麻友「それ、本当に、もったいない。でも、妹さんも、『これ、お兄ちゃんに、知っておいて欲しい』と、思ったんでしょうね」
私「妹は、卒業後、図書館には、務めなかった。見かけ上、折角の資格は、役立たなかったように、見えた」
若菜「そうですよね。秘書になったのでしたよね」
私「この秘書になったのも、その後、役に立つことになったんだが、妹は、大学も4年制に行けず、学生時代にマクドナルドで、アルバイトをしていたときも、本人は非常に頑張ったのだが、シフトごとで、上司が評価してくれる選択肢で、いつもスマイル(が、良かった)しかまるを付けてもらえなかった、というように、ダメ人間みたいな負い目があったように、思われた」
若菜「ダメ人間は、お父さんです」
私「ハハハ、そうだな。それで、今回、成長が目覚ましいというのは、若菜とのことなんだよ」
若菜「大学のことですか?」
私「そう。私は、合格した2つの大学を選ぶのに、見に行ったら良いと言った。京都大学を貶したような投稿のあとなので、矛盾するようだが、以前の投稿で、こう書いている、
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どこの大学出たか、なんて、本当は、その人の実力を測る上で、役に立たないのは、私がある意味一番分かっている。
こんな入学試験をしたらどうだろうといった人がいた。
『目の輝き度』試験。
あの受験戦争をくぐり抜けてなお、キラキラ目を輝かせて、入ってこられる学生。
麻友さんが生まれる3年前の4月、27年前だね。
大学の2年生の何人かが、新入生向けに、『研究室を訪問しませんか』と、掲示板に小さな張り紙をした。
その張り紙を読んで、所定の時間に行った1年生は、私だけだったのだ。理学部の新入生332人くらいのなかで、私は確かに、キラッキラッに目を輝かせていた。
その2年生たちが、地質学の研究室に連れて行ってくれた。
そこの教授が、よくきたよくきた、と言ってもてなしてくれて、
『岩石とか石炭みたいなものを、調べているだけで、今から何億年も前のことが分かるんだから、科学は面白いよな。私は、そう思うぞ』
と、話してくれた。
その時から、私は、大言壮語しているように見られる人だったのだ。
なぜかというと、その時私は、1,2年生だけでなく、3,4年生の時間割も手に入れていて、『一般相対論』が、4年生の後期にひとコマあるだけなのを、知っていた。
一般相対性理論の重要さを知っていた私は、なぜ半期分なのだろう。もっと、授業があってしかるべきなのに、と思っていた。
それで、
『京都大学の理学部は、これだけしか科目がないのですか?』
と、その教授に、質問したのだ。
先生は、
「えぇっ、まあなぁ。天下に冠たる京都大学でも、これだけしか、ないんだから、しけてるよなあ、アハハ」
と、笑ったが、私に意味が分かったのは、3年後だった。
「どういうことだったの?」
私が、相対性理論ばかり見てたから、いけなかったんだ。
この世の中には、色んな科学があるし、一般相対性理論は、ある意味、古典論と呼ばれる古い理論で、今、理学部の人間が、一所懸命取り組んでいたのは、量子論であり、だから、量子論の授業は、たくさんあったのだ。
「その、地質学というのは、古典論なの? 量子論なの?」
古典論とか量子論とか言ってるのは、物理学での話でしょう。地質学というのは、そんな分類とは、全く関係ない。麻友さん。大学なんて行ってもなんにもならない。なんて、思わせてしまったのは、本当に申し訳ない。機会があったら、ぜひ大学へ行ってみるといい。日本の大学でなくてもいいよ。ドイツは、外国人にも奨学金が全額出るなんて報道されちゃったから、競争率上がってるけど、フランスだっていい。アメリカだっていい。
この投稿の記事だ。
27182818284590452.hatenablog.com
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若菜「お母さんが、考えたのよね。たろちゃんが、京大貶してまで、見に行った方が良いという。でも、そんなお金はない。それで、エージェントに人に、相談した。そうしたら、それぞれの大学に進学している日本の学生に、様子を窺うメールを出してみましょうと、なった」
私「神様は、妹の場合も、色々なものを入れる順番を、間違えたのではないかと思う」
結弦「順番って?」
私「妹は、今年、50歳になるのだろう。18歳のとき、この才能が花開いていたら、人生で、大変な思いをすることが、もっと減ったのではないかなってね」
結弦「『妹の場合も』というのは?」
私「大学に入学して、2回生の人達から、歓迎されていたとき、初恋は幼稚園に入る前、という私が、『一線を越えるとどうなるのですか?』と、真面目に質問していたりするのを見て、先輩の女の人が、『この人は、神様が、色々なものを入れる順番を間違えたね』と、言ったんだ」
麻友「うーん。太郎さんは、確かに異常。でも、妹さんは、異常ではない。そして、結果として、エージェントのお陰で、メールを送れて、両方の大学の学生から、お返事をもらえた。行きたい大学も、納得して選べた。妹さんが、そこまでアシストできたのは、本当に良かったわね。それで、若菜は、何をやりたいの?」
若菜「お父さんの前で、お母さんが、
お母さん「昆虫が、空を飛べるのって、完全には、解明されてないよね。どれが1番凄いのかなあ」
お父さん「トンボは、凄い。ホバリングもできて、スピードも出るなんて、トンボしかない」
というやりとりを、してくれているのに、そのバイオミメティク・ケミストリー(生体模倣化学)というのを、私は、力を入れてやりたいんだというのに、気付いてくれない。もう、大学が決まって、やっと分かってきた。ただの生物学じゃないのよねぇ」
麻友「なるほどねえ。太郎さんは、確かに、数学や、物理学のことは、敏感に分かるのかも知れないけど、専門外のことは、からっきし駄目ね。そういえば、そういうやり取りもあったわね。他にも、葉緑体の話をおじいちゃんが、チラっと話したり」
私「いや、私をモルモットにしてたんじゃないか?チョット面白そうな話、例えば、葉緑体の話を、したときも、私は自宅に帰るとすぐ、研究がどこまで進んでいるか、調べた。専門外でも、ある程度は、分かる。それで、私の反応が、『これは、まだあまり分かってなくて、今後、研究が、進みそう』と出た分野を、探してたとか」
若菜「結果的に、どうなったにせよ、数学の信じられないくらい専門的な話まで知っていて、いつでも利用できるところに、お父さんが、居てくれたのは、心強かったです」
結弦「順番は、違ったかも知れないけど、お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんのために、役立ったんだ。良かったね」
私「若菜の成果は、長い目で、見守ろう」
麻友「どこのお母さんでも、こんなこと、できないわよね」
私「妹が、今後どうなるかは、分からない。私の最近の想像では、若菜が、外国に留まり、家庭を持って、若菜のお父さん、お母さんを呼び寄せて、老後を送る。ということも、あるのかなあというのもある」
麻友「どうして?」
私「世界の平和が、当たり前でなくなってきて、日本までが、自衛隊を何倍にもしようとしているように、見えだした。永世中立国のスイスまでが、中立じゃない、なんて、小学校で、数学的真理のように習ったことまで、揺らいでいる」
麻友「妹さんを、お子さん達が、大学行った後、大学で学べるようにするのは?」
私「母も言っているのだが、今の妹は、青山学院大学のレヴェルではない。もっと高い大学 、大学院で、学べるはずだ。決して10年先などということでなく、こういうことが、5、6年後には、実現する」
麻友「私から、1つ提案なんだけど、今すぐは、忙しいから、結弦が、合格したあとで、良いと思うんだけど、妹さんに、数学を、教えない?私は、大変なこともあるけど、太郎さんが、興に乗ると、辞書や文献を探しながら、すっごく面白い話をしてくれるのを、知ってる。歴史を交えて、そう、『数Ⅲ方式ガロアの理論』みたいに!」
私「麻友さん。知ってるかな。昔、将棋の強い人達は、仲の良い人と、一日に一手、例えば、『3六歩』とか、葉書に書いて送って、勝負するのを、楽しんだ。戦友に教わった、iDroo を、使ってみるかな」
麻友「今日は、進んだわね」
私「勉強は、しなかったけど、話を楽しんだね。おやすみ」
若菜・結弦「おやすみなさーい」
私「おやすみ」
現在2023年3月7日20時59分である。おしまい。